ある月曜日の夜、店を開けると同時に白い杖を持った青年が入って来た。

 「太福のマスターに紹介されました。」

 青年はカウンターの椅子に座る前に、「私の名前は尾崎紀美彦です。歌手の尾崎紀世彦さんと美と世の字が違うだけです」といった。

 太福は定食屋で、当店のライバル店である。数日前にマスターから電話があった。

「尾崎さんは毎晩、定食を食べに来る常連客です。尾崎さんに『定休日の月曜日は食べに行くところがない、コンビニの弁当を買い、家で食べている』、そんな愚痴をこぼされて、その日は“チャンピオン”に行きなさいと紹介しました。尾崎さんは目がパッチリと開いていますが、“盲人”です。」

尾崎さんはビールを注文した。気になるので見ていると、グラスが置いてある位置をたしかめてからビールをゆっくりと注いだ。それは健常者と変わらなかった。だが彼の視線の先は別のところにあった。尾崎さんはその日から毎週月曜日に来店する常連客になった。

尾崎さんは八王子生まれの三十一歳。中学生の時は卓球部のキャプテン、高校生では野球部のレギュラー、スポーツマンである。ある時、試合中にボールが顔面を直撃し、それが原因で失明してしまった。高校を特例で卒業すると、アメリカに留学、カイロプラクティックを学び、マッサージ師になった。

二十三歳になった時、親の援助で、阿佐谷北の日大二高の近くに一軒家を借りて、“マッサージ尾崎”の看板を掲げた。尾崎さんは健常者と変らない好青年なので女性の客が多い。予約制になっている。私が電話で予約をしてマッサージをしてもらっている時、尾崎さんが障害者の卓球大会に出場した時の話をしてくれた。三試合勝ち抜き、優勝したと言うので、目が見えないのに、どのようにして卓球が出来るのか聞くと、笑いながら話してくれた。

「私には三年間の卓球のキャリアがあります。玉がラケットに当る音、卓球台に落ちた時の音、観客の声などで、玉の位置を判断するのです。私の頭の中には対戦者と玉と卓球台があるのです。あの座頭市が相手の殺気を感じ取り、立ち回るのと同じです。審判員にも、それが判ってもらえなかった。『尾崎君は目が見えるのでしょう』と言われ、医師の証明書を見せるまで、優勝を認められなかった。」

チャンピオンフレンド会の忘年会は、毎年十二月の第二土曜日、午後七時から十二時まで、隣のスタジオを借りて催しをする。五十人から六十人集まる。呼び物は隠し芸大会である。歌、踊り、ギター演尾崎紀美彦氏奏、女装してフラメンコ、プロボクサーを相手にする女性のスパーリング、エトセトラ。そこに尾崎さんが出場したのだ。司会者が、「尾崎さんはマッサージ師です。目は見えません」と紹介。彼が舞台に立つと、若い女性を一人選んでもらい、その女性と三分ぐらいジョークをまじえての雑談をする。そして、その女性の身長、年齢、顔の特徴を当てる。尾崎さんらしい隠し芸であった。それが殆ど当っているので拍手喝采だった。

あの時は常連客でごった返す金曜日の夜だった。「ミスターヤマモト、ヒヤ、アイアム!」と声が聞こえたので、フライパンを置いて振り向くと青年の顔が見えた。「ドゥユーリメンバーミー」と言われ、私が首を傾げると青年は、「アイアムフロムアイスランド」と言うので、私は驚き、あわてて「イエス、アイリメンバーユ!」と叫んだ。

その青年は、一年前にタイの世界チャンピオン、チャナ・ポーパオインを取材に行った時、現地在住の青島氏に紹介されたマギーだ。彼はバンコクにタイ式マッサージを習いに来ていた。マギーがアイスランドに空手道場を開くので「学生時代に修業した大阪の松濤館に来年、挨拶に行く予定がある」と言うので、「その時、時間があったら、東京の私の店に来て下さい」と名刺を渡した。マギー曰く、成田行きの機内で隣のシートに居合せた日本人に“チャンピオン”の名刺を見せると、その日本人はオギクボまで行くので、「フォロミー」と言ってくれて、アサガヤまで一緒だった。駅前の交番で名刺を見せるとこの店を教えてくれた。

マギーは北欧人の平均体格からみると小柄な方なので、体格が同じぐらいの常連にしてみれば違和感がない。「ウエルカム」と言って彼を歓迎し、ビールで乾杯。マギーはアイスランドの大使のように自国をアピールした。アイスランドは大きな火山島で、温水はあちこちに湧き出ている。温水プールはどの学校にもある。水道の蛇口をひねれば温水が出る。それを分かりやすく、スローリィアンドクリアリでしゃべり、カウンター席は盛り上がった。後で気が付いたのだが、マギーは九日間、東京に滞在する予定だと言っていたのに、ホテルは決っていなかった。どうしよう。そんな話になった時、中国拳法の揚先生が「弟子の中国人が住んでいる私のアパートは四部屋あるが、一部屋だけ洋間になっている。中国人は洋間を嫌うので、その部屋だけは、いつも空いている。そこで良かったら、使ってもいいよ」と言ってくれたので一件落着した。

翌日来店したマギーが「帰国したら、空手道場を開くので、日本武道の道場を見学して、その雰囲気を知りたい」と言うので、揚先生に頼み、中国拳法道場を手始めにして、空手、柔道の道場を案内してもらった。剣道は私の知人の刑事に依頼して、杉並警察署の道場を見学させてもらった。マギーは滞在中毎晩、来店している。五日目の夜、久々に筑波大学の教授、矢島先生が来店。マギーと同年輩のフランス人の青年を連れて来た。フランス人は「こんなところでアイスランド人に会うなんて奇跡だ!ミラクル!」とオーバーに表現し、二人は興奮して英語とフランス語でしゃべりまくっている。二人は話し合っているうちにマギーが明日から二日間、大阪の松濤館道場に行くので、留守中の二日間、マギーが借りている部屋を使わないか、ということになったようだ。

その日から二日後、フランス人が来店。「マギーにキーをかえして下さい」と言うので、「あと一日泊るのでは?」と問い掛けると肩をすくめ「でも、あの部屋はもういやです」と言い、小さな声で答えた。

「寝ているとゴーストが出るのです。」

揚先生に電話をすると「十年前にあの部屋で中国人が首つり自殺をしたんだよ、出るかもしれないね」とのことだった。

大阪から戻って来たマギーにその話をした。

「ゴーストは出るよ、ベッドの周りを歩き廻る音がするからね、でもワタシに危害を加えたりしないから平気だけど。」

そんな話をしている時に尾崎さんが店に入って来た。尾崎さんをマギーの隣に座らせ、英語で紹介した。マギーはマッサージに興味を持った。それはタイ式マッサージのライセンスを持っているからだ。尾崎さんはカイロプラクティックだ。二人は互いのテクニックのディスカッションになった。尾崎さんは帰り際に「晁さん、明日の午後三時にマギーを私の治療室に連れて来て下さい」と言って、マギーに「シーユートマロウ」とを振った。

マギー氏マギーの東京滞在最後の夜、日大相撲部の学生が二人来店した。マギーは二人を見て「ワタシ、あの人たちとアームレスリングがしたい」と言うので、そのことを学生に伝えると、「あの外国人ですか」と顔を見合せ、「ボクらはいいですが、彼のウエイトはウエルター級ぐらいでしょ、ボクらはヘビー級です、それでもいいなら、やりましょう」と言ってくれた。

テーブルを土俵にし、「お前が先にやれ」と言われた学生とマギーはテーブルの中央で手を握り合った。レフリーの私が「はじめ!」と声をかけると、両者の腕は十秒ぐらい動かなかったが、じわじわとマギーの腕に相手は圧倒され勝負はついた。驚いた先輩学生は「お前、手を抜いただろう!今度はオレがやる」と、凄い形相でチャレンジしたが勝てなかった。マギーは「サンキュー」と言って自分の席にもどった。

十分後、学生が私の前に立ち、「このままでは相撲部のプライドが許しません。相撲部で一番強いのを連れて来ましたので対戦させてください」と言った。その学生の体格はマギーとあまり変らなかった。マギーは二人と対戦している。当然疲れいると思い、「どうする」と聞くと、挑戦は「OK!」、受けると言うので、対戦させた。店内の総ての客が観戦する中でのファイトだった。熱戦の末、マギーは相手の腕をテーブルに捩じ伏せた。啞然としている学生に「ユーアーグッドファイター、サンキュー」と言って、チャレンジャーと握手をした。その笑顔は相手をしてくれた彼らに感謝をしているようだった。

学生が帰った後、マギーにアームレスリングのファイトの秘訣を聞いた。

アームレスリングは腕力ではない、テクニックである。対戦者が力を入れる時と抜く時がある。力を抜こうとしたその一瞬、一気に攻める。それは対戦者の目の微妙な動きで分かる。だから試合中は相手の目しか見ていない、と教えてくれた。

マギーは親しくしていた常連たちに「Xマスカードを送るからアドレスを書いて下さい」と手帳をひろげていた。

翌日、尾崎さんから電話があり、二人で成田空港までマギーを見送りに行った。「シユーアゲイン」の言葉を最後にマギーは消息を絶った。Xマスカードは誰のところにも来なかった。ヒーハズゴーン!

                                       【山本晁重朗】