常連客の職業は、バラエティに富んでいる。美容師、銀行員、作家、映画監督、役者、スポーツジャーナリストなどなど。大学生もいる。人数の多い順からいくと、早稲田、法政、上智、東大となる。彼らは職種が違うので思想は異なっているが、共通しているものは、ボクシングファンであり、映画ファンでもある。根っからのファンであった人もいるが、当店で感化された人もいる。
 ある夜、見知らぬ青年が笑顔で覗き込むようにして店に入って来た。その表情は、「僕を知っているでしょう?」と言いたげだった。私は困惑したが、直後に入って来た連れが、「元日本バンタム級チャンピオンの小林智昭君です」と紹介してくれた。二人は、カウンターに座りビールを注文した。それが小林氏との初対面だった。
 人気絶頂の日本バンタム級王者、高橋直人を打ち合いに引き込み、壮烈な殴り合いで、判定勝ち。タイトルを奪取した試合が思い出される。試合は、TVで観戦したのだが、その小林選手と目の前にいる小林氏が結びつかない。人なつこく温厚な人物だった。
 韓国で世界タイトルに挑みKO負け、目の異常を訴え、網膜剥離と診断され、未練を残して引退した。
 小林氏と私は、どちらともなくボクシングの話になってしまったが、その日を機に、彼は時々、店に顔を見せてくれるようになった。スポーツジャーナリストの二宮清純氏とも当店で知り合い親密になった。
 平成五年一月二十日の夜、二宮氏から小林氏の急死を電話で知らされた。関係者の話を総合してみると、小林氏は、レースカーの練習場で車を壁に激突、車は大破したが、外に放り出された小林氏は、すくっと起き上がり、「大丈夫だ」と手を横に振った。外傷は無かったので救急車は呼ばず、友人の車で近くの病院に行った。そこでも、「僕は大丈夫」と言い続け、事故当時の状況を看護婦に話していたが、急に顔色が悪くなり、その場に倒れてしまった。肺に折れた肋骨が刺さっていて内出血を起こし、緊急治療室に運ばれた時は、すでに手遅れだった。
 そんな容体になっていたのだから、かなりの苦痛があったに違いない。それを元日本王者のプライドとボクサーの習性が、痛みを我慢させてしまったのだろうか。小林氏はボクサーのまま死去してしまったように思えてならない。
 平成十二年一月二十日、二宮氏が発起人になって、小林氏の七回忌追悼の会が当店で、行われた。小林氏の母、ちづ子さんが、長野県から招かれ、元バンタム級王者、高橋直人氏、元Jライト級王者、赤城武幸氏ら、小林氏とゆかりのある人が大勢集まり、故人を偲び、和やかなひとときを過ごした。享年二十八歳だった。
 この追悼の会の発起人、二宮清純氏は、スポーツ紙や流通紙の記者を経て、フリーのジャーナリストとして独立。著書に『勝者の思考法』、『プロ野球衝撃の昭和史』などがあり、TVにも出演して知名人と対談をしているスポーツ評論家でもある。
 当店が購読している『東京新聞』に、「スホーツが呼んでいる」を連載している藤島大氏のコラムには、〝いつもの酒場〟として洋食兼酒場チャンピオンが時々登場する。藤島氏は二宮氏と同年輩。当店で偶然、対面したことがある。その時の二人の対談(?)は、録音しておきたかったぐらい奇抜な内容だった。藤島氏もスポーツ紙の記者を経て、スポーツジャーナリストとして独立。雑誌、新聞、CS放送でラグビーの解説者として活躍。著書に、『キャンバスの匂い』、ラグビー小説『北風』がある。
 ある夜、ボクシング誌の編集長の前田衷氏から電話があった。「藤島大さんはチャンピオンの常連だと聞いたのですが、電話番号を教えて下さい」と。タイミングの良いことに、藤島氏はカウンターで飲んでいたのだ。「大チャン、前田衷さんから電話」と言うと、首をかしげているので二人は面識がなかったのかと?。だが、そこは同じ業界の人間、話はすぐについたようだ。『ボクシング・ワールド』の新年号から、藤島氏の「キャンバスの匂い」の連載が始まった。
 昭和四十二年、店を改築して間もない頃、共同通信に勤務する津江章二氏が、「『ボクシングマガジン』の編集長です」と言って、色白の青年を紹介してくれた。その人が前田衷氏だった。彼は二宮氏らよりひと回り年上である。昭和五十七年に、『ワールド・ボクシング』の創刊に参加。その後、『ボクシング・ワールド』、『ボクシング・ビート』の編集長を歴任。ちなみに創刊号から十年間、「我らTVファン」のタイトルで、私のコラムを連載してくれた編集長でもある。昭和四十九年の秋、ザイール(コンゴ民主共和国)の首都、キンシャサでWBA・WBC統一世界ヘビー級タイトルマッチ、〝モハメド・アリVSジョージ・フォアマン〟の試合があった。このファイトを現場で取材した日本人は前田氏だけである。ボクシング界最大の伝説となった、この試合は世界中でTV放映された。前田氏は、その試合をリングサイドで観戦。そこで書き上げた記事は、臨場感と迫力があり、高く評価されている。
 ところで、もし、このベテランジャーナリスト三人が一同に顔を合せ、〝本音〟で、世界のボクシング界をテーマにしてディスカッションをしたら、どんな議論が展開されるのか想像しがたい。
 余談になるが、『キンサシャの奇跡』とタイトルを付けたアリの試合がビデオになっていると聞いたので、ビデオ屋に行ったが無かった。店員が、「『ロッキー』ならあります」と言うので、それを借りた。『ロッキー』のビデオは自宅の指定席で観戦した。
 真赤なグローブが空を切る。右アッパー、左フックが炸裂すると、血と汗が飛び散った。レフリーの「ダウン!」の宣告も歓声に消されてしまう。顔が腫れあがり、変形し、立っているのがやっと。それでも必死に殴り合う。これが、『ロッキー』の試合のシーンだ。いままでに、『チャンピオン』、『罠』、『四角いジャングル』、『殴られる男』、『傷だらけの栄光』などアメリカのボクシング映画が上映された。だが、そのストーリーはギャングがらみの八百長試合。そして主人公の死、と陰湿なものばかりだった。
 ところが、シルベスター・スタローンが、『ロッキー』で見事にドラマチックなアクション映画に変えてしまった。内容は世界ヘビー級王者だったモハメド・アリが無名選手のチャック・ウエプナーに挑戦者のチャンスを与えた試合をモチーフにして制作されたものだ。
 スタローンのボクサー役は本物以上だった。彼は元アメリカンフットボールの選手で、ボクシングの経験はない。すさまじい打ち合いと強烈なダウンシーンは、すべて演技である。もちろん、強烈なパンチは一発も当てていない。それを音響効果と映像テクニックで表現するのだから、映画はまさにマジックである。日本のボクシング映画はヒットしないというジンクスがあったが、それを赤井英和主演の『どついたるねん』が見事に破った。その監督が調子づいて、現役のボクサーを起用し、『鉄拳』を撮ったが大失敗。
 数年前にイギリスで試合中に女性がリングに駆け上がり、打ちまくっている選手の頭をハイヒールで殴り、グロッキーになっている息子を助けてしまう珍事があった。
 ある日あの時、後楽園ホールで、某選手がコーナーに追い込まれ、ダウン寸前のピンチに陥っているシーンを見た。セコンドが見かねてタオルを投入しようと立ち上がった。その時、グッロキーの選手とセコンドの視線が空中でビシッとぶつかった。と、セコンドは小さく頷き、タオルを引っ込めてしまった。その直後、枯木のように倒れたのは優勢だった対戦者だった。鮮やかな逆転KO劇である。
 某選手とセコンドは、あの短い視線の交錯の中で何を語り合ったのだろうか。ボクシングは台本のないドラマである。
 ――と、カウンターで雑談をしている常連の中に割り込んで、一気にしゃべった。すると頷きながら聞いていた美容師の上野さんに、「晁さん、何時から評論家になったの!」と揶揄された。                                    
                                       
                                       【山本晁重朗】