ある朝、「『東京新聞』にチャンピオンの記事が載っていますよ」と、まりさんから電話があった。ポストに新聞を取りに行き、テーブルの上にひろげ、ページをめくった。古びたビルの一角にあるチャンピオンの写真は小さいが、カラー刷りなので、すぐに分かった。

 記事は、〝私の東京物語〟のタイトルで、青柳いづみこさんのエッセイだった。

 その内容は――、「阿佐谷南口の川端通りには、元ボクサーが経営するレストランチャンピオンの二階に、〝ランボー〟という名物バーがある。カウンターだけの店で、丸いスツールには割れせんべいのように、ひびがはいっていた。寡黙のおやっさんが一人でやっていて、ボロボロのジャケットから出したLPレコードを無造作にかけ、カクテルはみんな二百八十円。つまみは電気コンロであぶったスルメで、マヨネイズをつけていただく」であった。その通りである。それに付け加えると、おやっさんは口髭と顎鬚を生やした通称〝ほりさん〟と呼ばれている中年の男性である。ちなみに店名の〝ランボー〟はフランスの詩人アルチュール・ランボーから命名している。青柳さんはおやっさんと書いているが風貌は、色白で痩せ形。若い頃はイケメンだったと思う。その面影は今でもある。

 ランボーはチャンピオンがレストランに改築した時、家主の今井重幸氏が、二階にある寝室と居間を改築して出来た店で、ランボーのほかに同じスペイスの店と共同トイレがある。

 ほりさんはランボーを開店する前は駅の裏にあった小さなスナックの雇われマスターだった。その店の常連客の今井氏にすすめられて、バーをオーブンしたのである。私も〝ホリチャン〟のスナックの常連客だったので、親しい付き合いがあった。ホリチャンもスナックのマスターの時代からチャンピオンの常連であったが、異色の存在だった。それはボクシングファンで映画ファンでもなかったからだ。作曲家でもある今井先生はほりさんは詩人だと言っている。言われてみれば、そんな雰囲気はあるが、店内にはそれを裏づけるものは見当たらない。

 一番街を突き当たりまで行って左に曲ったところに、居酒屋の〝だいこん屋〟がある。マスターの松本純氏は私と同年輩で、若い頃は捕鯨船に乗り、太平洋を航海した荒くれ男だったという。それを象徴するかのように店の片隅に鯨のペニスが立掛てある。昼間、スーパーで買い物をしている時、よく出くわすが、いつも大きな下駄をはいている。電車の中で見かけた時も、スーツを着てネクタイをしめていたが足元を見ると、いつもの下駄だった。そのマスターは俳人であり、俳句の著書もある。エッセイも書いている。

 ランボーは伝説の店だ。壁に貼られた映画のポスターが。古いLPレコードからはブラームスが流れ、洋酒の瓶が時を刻みながらズラリと並んでいる。タイムスリップし、時間が止ったようなアナログな雰囲気はこたえられない。堀さんと言う詩人のようなマスターの店だ。と、書いている。

 漫画家永島慎二の著書に、『怪人ぐらいだあ』がある。怪人、変人を書いたエッセイで、その中に、〝ホリさん〟と知り合って十何年になろうとしているのにホリさんのことをあまり知らない。知っているならば、ランボーの下のキッチンチャンピオンのマスター、元ボクサーのチョウさんのことの方が、ヨホドよく知っている。ホリさんは、〝とうめいな恥ずかしさの風に吹かれて〟のような男で、詩を書く人か、小説なんぞ書いている人か、それとも何もしない人なのか私には分からない。と、書いている。

 永島慎二は阿佐谷在住の漫画家で、おもな作品は、『柔道一直線』、『漫画家残酷物語』、『フーテン』、阿佐谷の街を舞台にした『若者たち』がある。永島氏は当店の常連でもあり、『若者たち』のマンガのストーリーの中にチャンピオンが描かれたこともある。ボクシングファンで、ファイティング原田や海老原博幸の試合を話題にしていた。

 ある時、ホリチャンと土屋春一さんがカウンターで隣り合わせになったことがある。珍しくホリチャンが春さんに話しかけている。「ひとつ聞いていいですか?」と念をおしてから、「パンチドランカーってどんな症状になるのですか?」と質問した。ぺちゃんこの鼻をこすりながら、元プロボクサーの春さんは、自分の体験を語った。

 土屋春一はバンタム級の選手だった。東日本新人王戦で、KO率四割のハードパンチャー山口鉄弥と対戦した。初回からフルラウンド、山口選手の強打を浴びていたが、一度もダウンはしなかった。終了のゴングが鳴り、リングを下りた時の顔は腫れて変形していた。

 土屋春一の本職は、左官屋である。一日だけ休んで翌日から現場に出て仕事をした。ところが、壁にセメントをぬっていたのに、タイムスリップしたのか、気がつくと、仲間と弁当を食べている。次に気がついた時は風呂に入っていた。ところどころの記憶が抜けているのだ。そんな症状が一週間も続いた。これが、〝パンチドランカー〟なのかと思ったら恐くなってボクシングは止めた。

 ホリチャンは、春さんの顔をじっと見つめながら聞いていたが、「ありがとう」と言って店を出て行った。

 時計の針が三時をまわり、後かたづけをしているとホリチャンが入って来た。「晁さんに頼みたいことがあるので、明日の昼間アパートに来てくれませんか」と言うので、私は「いいですよ明日二時頃、伺います」と頷いた。

 昨夜、手渡された地図を見ながらアパートに向った。アパートは店から徒歩十分ぐらいの住宅街の片隅にある古い二階建てだった。二号室のドアには小さなカードが張ってあって、〝堀部純一〟と書いてある。誰かにもらった名刺の裏を使ったのだろう。私は気が付くと、その表札を凝視していた。それは誰にも知られていないホリチャンのフルネームが書いてあったからだ。ホリチャンは私の気配を感じたのかドアを開けた。粗末な六畳間だった。窓際の左側に机と椅子があった。机の上には灰皿と封を切ったタバコが、置いてあるだけで、私が想像していた、分厚い書物や筆記用具は見あたらなかった。部屋の中央に小さなちゃぶ台が置いてある。灰皿とサッポロビールが一本と、グラスが二つあった。ホリチャンはこの部屋に十年以上も住んでいると言っているが、ここには生活の匂いがしない。私が来るので、掃除をして、見られたくないものをかたづけてしまったのだろうか。それにしてもランボーの店内の雰囲気とはあまりにも違うので、立ったまま、部屋の中を見わたした。ランボーの店内と同じなのは、タバコの煙が霞のように漂っているだけだ。ホリチャンはヘビースモーカーだった。三、四本をたて続けに吸っている。ホリチャンは私がビールを飲み干すのを待って本題に入った。

 十日前、旅行会社の小川さんにツアーを組むのに定員が一人たりないので、格安にするからヨーロッパ旅行に行きませんか、と誘われた。ヨーロッパ旅行は子供の頃からの夢だったので、チャンスと思いメンバーに入れてもらった。だが、こんな小さな店の経営者が、ヨーロッパ旅行をするほど儲かっているのかと思われるのが嫌なので、常連客には一週間、里帰りをしていることにしてもらいたいと注文を付けた。ところが小川さんは酔っぱらって、「ほりさんをヨーロッパに連れて行くんだ」と親しい常連客二、三人にしゃべってしまった。その客たちに口止めはしたのだが、彼らは密かに餞別をくれたのだ。三日前、店を閉めて帰る時、階段で足を踏み外して下まで滑り落ちてしまった。その時、後頭部をしこたま打ってしまい、出血は無かったが、目まいがして、暫く立ち上がれなかった。アパートに帰り、氷で頭を冷やして寝た。朝九時に起きて、河北病院に向かったのだが、いきなり、「ほりさん何処に行くの」と今井先生に声をかけられた時、ホリチャンは駅のホームに立っていた。そこに来た記憶がないのだ。凄いショックだった。そして恐くなった。もし旅行中に、こんな事が起きたら、土屋春一さんと同じような事が起きたら、ツアーのメンバーに迷惑がかかる。ホリチャンは即座に小川さんの会社に電話を入れた。小川さんは納得して、旅行はキャンセルにしてくれたのだが、問題は常連客だった。餞別はもらっているし、他の客もうすうす知っているようだ。中止にした理由を、どのように説明すればいいのか、パンチドランカーになったなんて言いたくない。小川さんと相談した結果、旅行は予定通りに参加することにして、ヨーロッパ旅行に関する資料はアパートに送ってくれることになった。そして出発日の十月五日から七日間は、アパートからは出ないこと、人に見られないことが条件であった。そこで私が選ばれたのである。それは昼間、アパートにコンビニの弁当、その他の注文されたものを密かに届ける役目だった。

 十月五日、ランボーのドアに「十月五日から十二日まで里帰りをするので休みます」と張り紙がしてあった。私が毎日二時少し前に外出するので初子は不審に思っていたが、「散歩」と言ってごまかした。妻にも内緒にしてある。注文されたものを持ってアパートに行くと、ホリチャンは、ちゃぶ台の上にヨーロッパの地図をひろげていた。旅行の予定表を見ながら、「今はこのへんかな」とパリを指差している。私はそんなホリチャンを見て、毎日こんなことをしているのかと思うとタバコの煙が目に染みた。

 十月十三日、ホリチャンは八日ぶりに看板のスイッチを入れた。その日、ホリチャンは客にどんな対応をしたのかは知らない。

 それから一週間後、喫茶店ポエムに呼び出され、ホリチャンは無地の封筒を「お礼い」と言って私の前に置いた。「それで、どうでした」と聞くと、ホリチャンは、「餞別をくれた人たちには、小川さんがパリで買って来てくれたおみやげを、そっとわたしただけで、いつものランボーでした」と言った。二人の話がとぎれた時、「昨日、ビデオで見たんだけど、あれはやっぱり八百長だったね、真剣勝負じゃない」と隣の若者の声が聞えてきた。「アリは猪木に騙されたんだ、観客もなッ!」とつづいた。彼らが話題にしているのは、昭和五十一年六月二十六日にプロボクサーとプロレスラーが、日本武道館で対決した〝世紀の凡戦〟と言われている、いわく付きの試合だった。格闘技に興味がないはずのホリチャンが聞き耳をたてている。彼らの会話は偶然とはいえ、ホリチャンにとって、当て付けの皮肉に聞こえたのだろうか。私はそんなホリチャンに気を使い、〝異種格闘技(モハメド・アリVSアントニオ猪木)〟の疑惑についての説明をした。それにしても、元号が平成に変わっても、語り継がれているのには驚いた。そこで、あまり知られていないエピソードを話した。

 「あの試合の三人の審判員の中に往年の人気レフリーの遠山甲がいました。彼は天皇陛下の学習時代の盟友だった。お忍びで銀座によく飲みに行ったそうです。」

私は、席を立ちながら、「天皇陛下は、お忍びで遠山さんと銀座に飲みに行ったのを今でも覚えているのだろうか」と呟くと、堀部純一も立ち上がり、何時ものホリチャンの顔になった。
                                       【山本晁重朗】