温かくなったコーヒーを飲みながら、「徹子の部屋」を見ていると、ケイタイが鳴った。ジョナサンからだった。

「三時に阿佐ヶ谷駅の南口に来れる?」

私に会わせたい人がいるという。その時間に南口に行くと、ジョナサンはブロンドヘアーとブラックヘアーの若い女性と立話をしていた。ジョナサンは、今までに、イギリス人、アメリカ人、カナダ人、ロシア人、ギリシャ人等を紹介してくれている。この二人はどこの国の人だろうか?

三人を近くの喫茶店に案内した。席に着くと、ブロンドの女性を指差して、「この人がチョーさんに是非会いたいというので連れて来ました」。

彼女の肩に手をかけ、「このひと見覚えがありますか?」。私が首をかしげると、ヒントはイギリス人です。名前はハンナ・ニコール」。

私が彼女の顔を、じっと見詰めると恥ずかしそうに微笑んだ。その表情には見覚えがある。それにファミリーネームの〝ニコール〟が結び付いた。

「エロイズの娘さん?

ジョナサンは、「ピンポン」。ブラックヘアーの女性はスペイン人で、ハンナの親友だった。

ハンナは立ち上がり自己紹介をした。私も英語で応対したが、このところ英語をしゃべる機会がなかったので、それがブランクになり、次の言葉がスムーズに出て来ない。それに気が付いたジョナサンが「私が通訳しましょうか」。ハンナの了解をえると「ハンナがチョーさんに会いたかった理由を話します」と続けた。

私が物心ついた頃から、リビングルームの壁の片隅にボクシングのグローブが吊るしてあった。それを気には留めなかったが、高校三年生の時、家にボーイフレンドが遊びに来た。彼はグローブを見て、「誰かボクシングをやる人がいるの?」と興味を示した。それまでは、グローブの存在を気にしたことがなかったが、友人に言われ、初めて意識した。そして、母に尋ねた。母は懐かしそうにグローブを手にして「これは私たちの結婚のお祝にもらった物なの」。二十七年前、母がステファンとシンガポールで挙式をあげた時、日本人のチョーさんが「ダーリンとケンカをする時に使いなさい、と言ってくれたものです。披露宴の会場は大爆笑だった」と振り返る。

それを聞いて、私はびっくりした。イギリス人のギャグとジョークは日常茶飯事だが、そんなことをする日本人がいるのは意外だった。その人はどんな人なのか会ってみたいと思った。あれから十年経った今日、ジョナサンのおかげで、やっとチョーさんに会えたのが嬉しい。と、ジョナサンは声優のように抑揚をつけて語った。

ハンナの母エロイズはロンドン生れで、東京にある英会話教室の先生だった。ある時、渋谷の街でスカウトされて、〝イトウヨウカドウ〟のTVのコマーシャルに出演したことがある、ステキな女性だった。ハズバンドのステファン・ニコールもハンサムで、美男美女のカップルであった。

彼等は結婚して、ロンドンに住んでいる。精力的なカップルで、毎年ベビーが誕生。年子で五人。それが、みんな女の子だった。ハンナは、その長女である。エロイズからのクリスマスカードには、いつも成長する彼女たちの写真が載っている。これぞ〝美女ありき〟だった。

ハンナに「あのグローブのギャグには何かヒントがあったのですか?」と聞かれ、「それは、ベストフレンドのジョナサンの影響でしょう」と答えた。

あの時はジョナサンが、ロンドンに私を招待してくれた、滞在二日目の夕方だった。私が手にしているカメラを見て、「何か写したいものがありますか?」と聞くので、「ダイアナ王妃を写したい」とジョークを言うと、ジョナサンは困った表情になり、「ごめんなさい。昨日予約の電話をするのを忘れていました」とジョークで返されてしまった。更に「エリザベスなら大丈夫です」。私は「えっ、女王ですか?」。ジョナサンは片目をつぶって、「いいえ、私の妹です」と、またやられてしまった。確かに、妹は女王と同じ名前だった。ビールを飲みながら、そんな雑談が三時間近く続いた。別れぎわに、「またお会いしたいですね」と言うとハンナは、「三度目はロンドンで会いましょう」。私は驚いて、「二度目でしょう?」。ハンナは、にっこりと笑い、「チョーさんが母にグローブを手渡し時、私は彼女の胎内にいたのですよ」。

私は思わず呟いた。「オーマイガード」。

阿佐谷の商店街パールセンターは八月に七夕祭り、九月は天祖神社の例大祭がある。南はパールセンター、北はスターロード、その他の商店街から御神輿が出る。若者が威勢よく担ぎ、町内を練り歩く。お祭りは二日間で、一日目は担ぎ手が多い。三十人か四十人いるが、二日目は、担ぎ手が少ない。そこで、チャンピオンの常連たちの出番になる。リーダーは輿石嘉之氏で、通称神輿のコーチャンである。コーチャンは神田の生まれのチャキチャキの江戸っ子だ。子供の頃から、お祭りが大好きで、お祭りがあると何処にでも出かけて行き、御神輿を担いだ。今までに、神田明神、花川戸、三社祭。遠方では沖縄まで、自分の顔のきくところへは何処へでも担ぎに行ったベテランである。十年前に阿佐谷に引越して来てからはパールセンターの御神輿を仕切っている。

阿佐谷パールセンター御神輿コーチャンは江戸っ子特有の〝ヒと〟がうまくしゃべれない。引越が〝シッコヒ〟に、お汁粉が〝ヒルコ〟になる。台湾出身の歌手オーヤン・フィフィが、〝オーヤン・シーシー〟になってしまう。そんなわけで、英語をしゃべって、通じたことがないと言っている。それが外国人嫌いの原因かも知れない。「オレは〝ジンガイ〟は嫌いだ」が口癖【左・晶チャン。中・コーチャン】       であった。

あの日は担ぎ手が十三人集まった。その中にジョナサン、デビット、リチャードの三人かいた。コーちゃんの言う〝ジンガイ〟である。パールセンターの老舗で、平田屋化粧品店の晶チャンが、町内会のハンテンを人数分持って来た。にわかに着替え室になったチャンピオンで、担ぎ手が着替えているところに、エロイズ、ジェーン、パメラが入って来た。彼女たちのハンテンはないので、御神輿を担ぐ人の付き添え役になり、担ぎ手がピンチになった時に交代する〝変り手〟と一緒に行動することになった。コーチャンの「よし!行くぞ!」の掛け声で御神輿が待っているパールセンターに向かった。

チャンピオン一家が入ると担ぎ手は四十人ぐらいになった。「ワッショイ!「チョイサ!」の掛声でリズムを取り、御神輿は大きなうねりとなり動き出した。買物客でごったがえす商店街を一時間ぐらい担ぎ、十分ぐらいの休息を取った。お店の人が振る舞ってくれるビールを飲みながら、ジョナサンがハンテンから肩を出し、「ここが痛い!」。見ると赤く腫れて痛痛しい。デビットとリチャードの肩も腫れている。それを見たコーチャンが、「あんたたちは背が高いから担ぎ棒がまともに肩に当っちゃうんだ、どうする、もう止めるか?」とにらみつけると、ジョナサンが「いいえ、最後まで担ぎます!」。日本語できっぱりと言った。再び御神輿が威勢よく動き出した。

雨が降ってきた。だんだん激しくなり、土砂降りになった。弥次馬は近くの店の軒下に避難した。変り手も御神輿から離れたが、担ぎ手はずぶ濡れになりながら更に気合を入れて担いでいる。その横にエロイズ、ジェーン、パメラたちもずぶ濡れになりながら御神輿に付添っている。私が「何時までそこにいるの、早く!あそこの軒下に行きなさい!」と怒鳴るとエロイズが「ジョナサンたちが濡れながら担いでいるのに私たちは離れられません!」。花棒を担いでいたコーチャンはその遣り取りに気がついたのか、私に大声で言った。

「あいつらは根性があるし人情もある、江戸っ子とおんなじだ。オレ、〝ガイジン〟好きになった。

御神輿を担いだ人に銭湯の入浴チケットが配られる。私はデビットとリチャードを連れて一番街の銭湯に行った。浴場はすいていた。洗い場に七、八人しか居なかった。富士山の壁画をバックにして三十代の体格の良い若者が二人、湯船の縁に腰掛けていた。二人の背中には、唐獅子牡丹と桜吹雪の見事な入れ墨があった。彼らはそれを見せびらかしているように見えた。デビットたちは、それにすぐ反応した。気がついた私は「イギリス人が、あなたたちの入れ墨を近くで見たいと言っていますが」と言うと二人は「どうぞ」と快く受けてくれた。デビットたちは「ワンダフル!ファンタステイク!」の連続だった。ここまでは良い雰囲気だったが、唐獅子のお兄さんが、デビットの左腕にある小さなバラのタトウを見つけると、それを指差して、「これは何だ、ラクガキか、洗ったら消えちゃうんだろう」。自分の背中を指差して、「よく見ろ!これは芸術作品だぞ!」と威張りだした。洗い場は険悪なムードになった。その時、「チャンピオンのおじさん、どうしたの」と子供の声がした。店の取り引き先の八百屋のアッチャンだった。父親と来ていた。アッチャンはおちゃめの五歳児だ。私はアッチャンに耳打ちして、入れ墨のお兄さんの前に行かせた。アッチャンは入れ墨を指差して「すごいね、この入れ墨いくらしたの!」と大声で叫んだ。驚いたお兄さんは「このガキの親はどこにいるのだ!」と怒鳴った。私は「はい!ここにいます」と言って手を上げた。そして「唐獅子牡丹も、子供には勝てないね!」と言って大声で笑った。周囲にいた人たちも笑い出し、それが浴場中に反響した。

 

 どちらが先に手を差し出したのか見ていなかったが、デビットと唐獅子のお兄さんは照れ臭そうに握手をしていた。その横にリチャードがレフリーのような顔をして立っている。

 アッチャンの父親に「やくざ恐くないの」と聞かれたので、「安倍譲二さんから貰った本に、〝入れ墨を見せびらかして粋がっている奴は小心者だ〟と書いてあった」と八百屋さんの耳元で囁いた。
                  
                                       【山本晁重朗】