"チャンピオン"日誌[あの日あの時あの人]

64年から07年4月まで43年間、東京・阿佐ヶ谷で洋食店「チャンピオン」を営業していたマスター、山本晁重朗が記すエッセイ集。19年2月より、新たに、「あの日あの時あの人」シリーズを開始。

2018年05月

ある夜、春原氏が店に威勢よく入って来た。「カオサイが日本に来るぞ!」と言いながら、サウスポースタイルで、パンチを打つ真似をした。誰かが、「カオサイは引退したのに何をしに来るの?」と言うと、それを待っていたとばかりに、「渡辺二郎と試合をするのだ!」と答えた。

渡辺二郎は日本拳法四段、大阪の追手門学院大学のキャプテンだった。卒業すると大阪帝拳ジムに入門した。プロテストを難なくパスした拳法家はボクシング界に殴り込みをかけたのだ。その成果はすぐに出た。デビュー戦から連続KO勝ち、十六戦目でWBA世界Jバンタム(現・スーパーフライ)級タイトルをKOで獲得した。そのタイトル(WBA・WBC)を十回防衛し、八六年に引退している。片やカオサイは九三年に引退しているが世界Jバンタム級の王座を十九回も防衛している。

この二人を現役時代に対決させるのがファンの夢だった。その夢がエキシビジョンマッチで実現することになったのだ。

それを伝えに来た春原氏は喫茶店〝ポエム〟の店長だった。〝ポエム〟は、永島慎二の人気漫画「若者たち」の舞台になっている有名店である。春原氏はマニアックなボクシングファンだ。酒は飲めないので、普段は口数は少ないが、ボクシングの話題になると雄弁になる。ある時、『ワールドボクシング』誌の編集長が、「私の助手が欲しいのですが、誰か、いい人いませんか」と言うので、春原氏を紹介した。二人は意気投合し、春原氏は〝ポエム〟を辞めて、ボクシング出版社の社員になってしまった。

カオサイの何回目かの防衛戦だったか忘れたが、バンコクの郊外にあるギャラクシージムでカオサイの公開練習があった。私が取材に行くと、春原氏がリングサイドでカメラを構えているではないか。そっと近づき、背後から肩を叩こうとした時、「晁さん!春原さん!」と声がかかった。振り向くと、そこにテレビカメラを担いでいる横に、友田君が居たのだ。友田君は学生時代にボクシング部に所属していて、当店の常連客だった。その友田君はテレビ東京に就職して、ボクシングの担当者になり、初仕事でバンコクに派遣されていたのだった。この異国で三人が同じ目的で、出会ったのは、まさに〝サプライズ〟である。そんなエピソードもあった。

数日後、春原氏は招待券を二枚持ってきた。チケットには渡辺二郎とカオサイの顔写真が印刷されていて、〝夢の対決〟エキシビジョンマッチと書いてあった。

後楽園ホールは満員だった。選手の控室に行くと、関係者でごった返していた。カオサイはバンテージを巻き、中央でインタビューを受けていたが、何時も彼の隣に居るワイフの由美子さんの姿がなかった。あたりを見わたすと、ひとりポツンと片隅に立っていた。私は、「今日は、お久しぶりです」と声をかけると、由美子さんは私の顔をチラッと見て、「ごめんなさい!私はあなたを知りません」と言って下を向いてしまった。

「バンコクで何回もお会いしている山本です!」

由美子さんは、「でも知らない人です」と言うと、後ろを向いてしまった。

試合は時間通りに始まった。その前に赤コーナーに居るカオサイに由美子さんは大きな花束を贈呈していたが、気のせいか、ぎこちなく見えた。試合は四ラウンドで、三ラウンドはヘッドギアを付け、ラストラウンドはヘッドギアをはずし、素顔を見せてファイトをしている。観衆の声援で期待通りの好ファイトをしているのは分かるが、私には雑音にしか聞こえなかった。それは由美子さんが、〝あなたを知りません〟と言ったのは何故なのだろうか、理解できないからだ。カオサイが経営しているビリヤードに招待された時も、カオサイの運転で弟分のチャナのジムに案内してもらった時も、何時もカオサイの隣に居て、通訳をしてくれていた。そして、〝今度はあなたの店チャンピオンで会いましょう〟と言ってくれた由美子さんが、なぜ、あのような態度をとったのか、カオサイとの間に何かがあったのだろうか。カオサイはリングに上がると〝鬼〟になるが、普段は温厚な人柄で、引退してからも、二人仲良くテレビに出演している人気者であった。そして、私をミスター・ヤマモトと呼び、親しくしてくれた。

翌日、バンコク在住の青島氏に電話をした。由美子さんの昨日の言動を伝えると、「ボクが親しくしている新聞記者に聞いてみます」と言ってくれた。二日後、青島氏から電話があった。

「離婚していました。原因はわかりませんが、由美子さんは数カ月前に大阪の実家に帰ってしまったそうです。由美子さんが東京の試合場に居たのは、カオサイに呼び出されたのではないでしょうか。」

「やはり、国際結婚は難しいですか?」と尋ねると、青島氏は、「難しいと思いますよ。ボクの妻はタイ人なので、それは良く分かります。ボクも東京に帰りたくなった時が何回かありましたから」と答えるので、私は、「由美子さんはしっかり者で、意志の強い人だと思っていたのに、離婚するなんて考えられない」と言うと、青島氏は、「ボクは結婚して十二年になるけど、ボクなりに頑張っています」と話してくれた。

「ところで、昨夜、私の店に電話をしましたか?もしもしと何度も言ったのですが、相手は何も言わないのが気がかりなのです。」

青島氏は、「ボクではありません。それは、もしかすると、〝私はあなたを知りません〟と言った人では?きっとそうですよ!」と言って、青島氏の声は大きくなり、しゃべり続けているのに、私はそっと受話器を置いた。
                                       【山本晁重朗】

 小雨が降る夜だった。ソー君が久々に顔を見せた。ソー・ウィリアムスはシンガポールの留学生で、定食屋の「王将」でアルバイトをしている。日本語、英語、中国語を話せるが、中国語以外は、あまり巧くない。英語はTHの発音が出来ないので、「タンキュー」になる。ブルー・スリーのマニアックなファンで、ブルー・スリーの映画は全部見ていると自慢する。ソー君もカンフーの経験があるので、私にボクシングとカンフーはどっちが強いか!と何回もチャレンジしていたが、実現しなかった。

ソー君は突然言い出した。

「私は阿佐ヶ谷に二年近く住んでいましたが、来週、国に帰ります。タンキューでした。」

居合わせた常連客が、「送別会をやろう」と言うと、「タンキュー、でも時間がありません」と言い、私にシンガポールの住所と電話番号を書いたメモ用紙を手渡し、「晁さん、必ず来て下さい、紹介したい人がいます」と言い、ビールを一本飲んだだけで帰ってしまった。そこに、たまたま海外旅行会社に勤めている小川氏がいて、「バンコク、シンガポールの四泊五日の観光ツアーがあるよ、行ってみたら」と言うのを聞いていた初子が、「バンコクには常連客だった青島さんがタイの女性と結婚して、現地にいるでしょう、会いに行けるじゃない」と言うので、そのトラベルがすぐに決まってしまった。

数日後、来店した、『ワールドボクシング』誌の編集長の前田氏に、「バンコクに行くなら、世界Jバンタム級チャンピオンのカオサイ・ギャラクシーを取材してくれないか」と頼まれた。私は早速、青島氏に手紙を書いた。

バンコクに着くと青島氏に電話を入れた。添乗員に二日間の合間に自由時間をもらい、青島氏にカオサイが所属するギャラクシージムに案内してもらった。カオサイに英語で挨拶をし、名刺を出すと、私の顔を見て、たどたどしい日本語で、「アナタ日本人?私のフィアンセも日本人です」と聞くので、「そうです」と答えると、強持てのボクサーは笑顔になり、私の注文通りのファィティングポーズを撮らせてくれた。取材が終わった時、彼は、「今度私の家に来て、フィアンセを取材して下さい。フィアンセの由美子は日本人に会いたいと言っています」と英語で話し、住所と電話番号を書いた紙をくれた。

次の日、シンガポールの空港に着くと、ソー君が出迎えてくれた。彼の隣に見覚えのある女性がいた。ソー君は、「私の奥さんです」と紹介した。その人は台湾の留学生だったマーさんではないか!マーさんは、ジョナサンが二年前に店に連れて来た女性だ。ジョナサンは、『ジャパンタイムズ』の記者で、都内に住んでいる外国人に会うと店に連れて来る。今までにアメリカ人、ロシア人、アフガニスタン人、カナダ人らを私に紹介してくれたイギリス人である。マーさんは気さくな人で、日本語の発音がセクシーだと言う人もいて、当店のマドンナだった。その彼女が二カ月前に突然、姿を消してしまったのだ。私は思わず、「そうか、ソー君がマーさんを拉致したのか、君は凄い!スーパーマンだ」と言うと、ソー君は、「いいえ、ドラゴンです」と答える。ドラゴンはブルー・スリーの役名である。

数年後の深夜、青島氏とバンコクの野外レストンで飲んでいると、警官に職務質問された。腰につけたピストルを物珍しそうに見ていたからだろう。私が、「カオサイに会いに来たのです」と答えると、怪訝な顔になった。そこで、カオサイと私のツー・ショットの写真を見せた。警官の態度がとたんに変カオサイ&晁さんり、ビールを一本ご馳走してくれて、「何か困ったことが起きたら、ここに連絡しなさい」と、カードまでくれた。カオサイの写真は水戸黄門の印籠のような威力があるのに驚いた。引退してもカオサイの人気は衰えていない。世界Jバンタム級タイトルを十九回の防衛記録を残して引退、皇太子(現国王)の媒酌で日本女性の由美子さんと結婚した。

翌日、バンコクの郊外にあるカオサイの邸宅に電話を入れた。約束の時間より、三十分早く着いてしまった。カオサイは笑顔で迎えてくれて、「私のワイフです」と由美子さんを紹介し、応接間に通された。正面にある飾り棚の中央にチャンピオンベルトが置かれ、そのまわりには数え切れないほどのトロフィーが無造作に置いてあった。カオサイの隣に座り、通訳をしてくれている由美子さんとはこの日が初対面である。写真で見るより遥かに美人だ。眼が大きくて、肌の色は南国の直射日光を拒むかのように白い。スンナリとした脚、背はカオサイより少し高そう。豊かな表情と声優が台本を読むような口調に知性を感じ、とても魅力的だ。そして、流暢なタイ語を話す彼女が、「この一年ぐらい日本語でお話をしていないのです。今日はたくさんおしゃべりをしましょう」と身を乗りだした。

「それでは、カオサイさんとの馴初めを聞かせて下さい。

平成元年四月八日、カオサイは横浜文化体育館で松村謙二の挑戦を受けるために来日した。たまたま、その試合の招待券を手にした由美子さんが、女友達と大阪から観戦に来ていた。試合後、ホテルのティールームで友人とおしゃべりをしていると、突然背後から誰かが話してかけてきた。ナマリのある英語だ。振り返ると、小一時間前、リング上で日本の選手を殴り続けていたタイ人だった。これが、カオサイとの出会いである。由美子さんは、社交辞令でサインを求めたりしているうちに祝勝会に出席するはめになってしまう。会場は、新宿のタイ料理店。そこまで行くマイクロバスの車中で、カオサイは由美子さんの自宅の住所と電話番号を聞き出している。カオサイは帰国すると、ラブコールとラブレターの猛攻撃。その熱意にうたれ、バンコクに行くことにした。一週間の滞在中にカオサイの素朴でやさしい人柄に触れ、生涯を共にする決心をした。

カオサイのプロポーズの言葉は、「ボクには、お金も土地も車もある。無いものは一つだけ、それはワイフです。ボクのワイフになる人は、あなたしかいないのです」だったと。言い終わると、由美子さんはカオサイと目を合わせて笑った。帰り際にご馳走になった手料理を誉めると、由美子さんは、「今度お会いするのは、あなたのお店〝チャンピオン〟にしましょう」と言ってくれた。

その言葉に、〝期待〟して豪邸を後にした。
                                       【山本晁重朗】

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