ある時、ジョナサンに「新しいアイデア料理がありませんね」とメニューを見ながら言われた。

私は、海外旅行をすると、その国の料理を食べ歩き、美味しいと思った料理からヒントを得ると研究し、試食し、チャンピオン風にアレンジする。そしてパートナーの初子に試食をしてもらう。彼女のOKが出ると、メニューに載せている。

タイは、バンコクに在住の友人がいるので馴染のある国だ。最初に出来上がったのが、タイ料理で有名なトムヤムの香辛料を使った豚肉料理だった。それを、〝バンコクポーク〟と命名した。思ったより好評なので、牛肉を使い、〝タイランドビーフ〟に。スパゲッティもトムヤムの味で、ラーメン風にして、〝タイ風メン〟に。バターでソティして、〝スパゲテイド・タイフーン〟などもメニューに載せると、大好評だった。店の近くにあるタイ料理店のシェフが、試食に来て、「こんな美味しい料理はタイにはない!」と驚いていた。

その次は、ケニヤに行った時、ナイロビのレストランで食べた牛肉料理にヒントを得て作った、〝ケニヤビーフ〟も人気があった。「これは、ライオンの肉ですか?」とジョークを言う客もいた。

このようにして、新作料理を創作するのを、よく知っているジョナサンは、私をロンドンに招いてくれた。彼のホームタウンに二日間滞在、ジョナサンの両親と車に乗り、家族ぐるみで名所を観光させてもらった。そして、一流のレストランにも連れて行ってくれた。どの店の料理も美味しいのだが、チャンピオンのメニューに載せるには高級すぎた。ジョナサンは、役に立たなかったと残念がっていたが、彼の好意には感謝している。

ある夜、海外旅行会社に勤めている山田氏が、〝歴史散歩友の会〟のパンフレットを持って来た。その中に、〝キューバ・メキシコ七日間のツアー〟があった。山田氏に「参加しませんか」と誘われた。

〝キューバ・その光と影〟のツアーは十一月十六日十七時四十五分、日本航空で成田空港から出発した。当時、アメリカと国交がないので、バンクーバー経由でメキシコへ行き、一泊して、キューバの首都ハバナに着いた。参加者はリーダーの山田氏を入れて七人。カストロの革命広場、ホセマルティ記念博物館、ヘミングウェイゆかりの地、その他を観光した。因みに、キューバは社会主義国家だが、ハバナの最大の国営キャバレー〝トロピカーナ〟のショーで、セクシャルに踊るストリッパーたちも公務員なのだろうか。

ハバナの最後の夜、山田氏と二人で市街に出た。活気が溢れている大衆酒場があったので入ると、観光客で、ほぼ満席。欧米人の三十代のカップルと相席になった。英語で挨拶をして席に着くと、男性が私の顔を見て、笑いながら、バックからカメラを取り出した。〝キャノン〟だった。それを見て女性が話しかけてきた。「あなたたちは日本人ですね、私たちはドイツから来ました」と言って目礼をした。私も小型のキャノンを携帯していたので、それを見せて話は弾んだ。彼女はビリギットと名乗り、「夫は英語が苦手ですが、ドイツ語は上手です、私よりも」と言って、肩をすぼめた。その夫が、「カメラは一年前に日本を旅行した時に買いました」と言いながら、私たちにレンズを向けて、数回、シャッターを押した。気が付くと、私もシャッターに指が触れ、カメラマンになっていた。四人は意気投合して、深夜まで飲んだ。別れ際に名刺を交換して、「グッドラック」と握手。キューバは治安が良いのでホテルまで歩いて帰った。

翌日、メキシコに直行した。市内車窓観光だった。滞在時間が少なかったので印象に残る出来事はなかったが、キューバでは得られなかった料理のヒントがあった。それはホテルの朝食で食べた玉子料理だった。帰国して早速メニューに載せた。〝オムレッド・メヒコ〟である。これもヒット料理になった。

キューバとメキシコで撮った百四枚の写真を整理していると、一枚の写真に目が止った。ビリギットが笑顔でポーズをとっているショットだ。ムービースターのブロマイドのよう。その写真をA4に伸ばし、手紙を添えて、ビリギットに送った。一カ月もたたない内に礼状と自家製のマーマレードが送られて来た。今までに英国人、米国人、カナダ人と文通をしていたが、物が送られてきたのは初めてだった。この人だったら良きペンパルになると思い、私も手作りの特製ドレッシングを送った。その礼状はすぐに来た。手紙には西ドイツの南の町バックナグの郊外に住み、リンゴ園を所有、冬は道路が凍るほど寒いと書いてあった。私は、〝寒い〟にヒントを得て、ホカロンを送ってみた。ホカロンには驚いたらしい。日本の文化に触れたと次の手紙に書いてあった。年末にはカレンダーが送られて来た。美しい風景の写真が十二枚、大きく印刷されてあり、それらは彼女たちが住む地方の名所だと説明があった。私はこんな素敵な所に妻と行ってみたいと社交辞令で書いた。すると、是非いらっしゃい、私たちが案内しますと誘われた。その時は躊躇したが、その後の文通で、行くことが具体的になった。秋がベストだと記してあったので、ドイツに行くのは十月に決めた。

シュツッガルトの空港に到着すると夫妻が迎えに来てくれていて、ベンツで彼女たちの家に直行した。二人は私たちが持参した土産の甚平と浴衣に袖を通し、「ワンダフル!」と喜んでくれ、ビールで再会の乾杯をした。そして、三階に案内してくれた。そこはホテルの小部屋のようだった。「ここを使って下さい」と言われ、リラックスした。翌日からビリギットが運転する自家用車のベンツで四日間の観光が始まった。

最後の夜は日本から持参したマヨネイズと醤油を使い現地で買ってもらった鳥のもも肉で、チャンピオンの人気料理のチキンソテーを作った。初子は醤油を使い、お清汁を作り、ビリギットはドイツの家庭料理を作り、日独合作パーティーになった。ビールを飲み、イギリスの民謡〝埴生の宿(ホームスイートホーム)〟を日本語とドイツ語で合唱した。

翌朝、ビリギットに「すっかりお世話になりました、滞在費を払います」と言うと、彼女は毅然とした表情で「あなたたちを私が招待したのです。ゲストからお金を頂けません」と、きっぱり言われた。彼女の隣に居るラウスコルブス氏は、笑顔で頷いている。その言葉にドイツ人の気質を感じ、好意に甘えた。

交流は今でも続いている。                          【山本晁重朗】