あの夜は、常連客に「この店のクーラーは、壊れているんじゃないの」とぼやかれるほど、暑かった。山崎君も「暑いですね」とつぶやきながら、カウンター席の私の前に座った。山崎英眞は私が所属していた極東ボクシングジムの後輩で、アマチュアの選手だった。ちなみに私のスパーリングパートナーでもあった。

 ある時、二人でジムの帰りに新宿の歌舞伎町を散策した。相変わらず人々でごった返している。ふと気が付くと、四人のチンピラに囲まれていた。そして、ミラノ座の裏に連れて行かれ、長身の茶髪の男に、「お前、オレに眼付けただろう!」と言い掛かりをつけられ、私の胸を拳で突いた。私は黙ったまま、相手を睨みつけた。すると顔に傷のある男がナイフをちらつかせながら、「お前ら、いい面構えしているな!どこの組の者だ」と啖呵を切られたので、「オレたち〝極東〟だけど」と言ってしまつた。すると、彼らは顔を見合せ、態度が、がらりと変わり、「悪かったな、〝極東組〟は組員が多いので仲間の顔を覚えきれないんだ」と言って、彼らは雑踏の中に消えていった。二人で顔を見合せて笑った。極東拳は暴力団の極東組と間違えられるので、つねづね嫌なジムの名前だと思っていたが、その〝名前〟で助けられるとは皮肉なものだ。

 山崎君はアルコールを飲めないのに、まずはビールを注文する。そして私のグラスに注ぐのが何時ものことだった。ところが、今夜は自分のグラスに注いで飲み始めたのだ。私は、これは何かあるなと思った。案の定、彼は、「晁さん、オレ今年三十歳になったのです。誰かいい人を紹介して下さい」と言われ、咄嗟に数カ月前から毎週火曜日に来店する沙チャンの顔が目に浮んだ。彼女は十九歳で八王子の美容院に勤めている可愛い娘で、常連たちのあいだで人気があった。

 「ひとりいい娘がいるんだ、来週の火曜日、七時に来なさい、それとなく紹介するから」と即答した。山崎君は、チェーン店の理髪一番に勤めている理容師だ。沙チャンは美容師だし、二人には共通するものがあると思ったので、山崎君にすすめてみたのだ。指定した火曜日から沙チャンの隣の席には何時も山崎君が座っている。沙チャンはウィスキーの水割で、山崎君はコーラ。それで二人の会話は盛り上がっているようだった。数週間の時が流れ、ある深夜、山崎君が沙チャンをアパートに送った帰りに店に寄った。山崎君は、いきなり、「どうしよう!沙チャンは来週、美容院の寮に入ることになったと言うのです」と顔をしかめてうなだれた。私は、「山崎君、やっとチャンスが来たね、君は車を持っているのだから、引越を手伝えばいいんだよ」とはっぱをかけた。一週間後、山崎君はさっそうと店に入って来た。私が、「美容院の寮の部屋は、広いの?」と聞くと、山崎君は言った。

「八王子には行かなかったのです。沙チャンの引越の荷物はボクの自宅の自分の部屋に運びました!」

それを耳にした常連たちは、立ち上がり、「やったね!」と言って、ビールで乾杯をした。その時も山崎君のグラスの中はコーラだった。三カ月後、沙チャンの郷里、和歌山県から両親が上京し、私の古巣の九段会館で挙式をあげた。それから一年後に、二人は自分たちの貯えと、山崎君の親の援助をうけて、鷺ノ宮駅の近くの店舗を借り、喫茶店を開店した。屋号は、〝みつばち〟だった。

 

ある夜、山下智子が神妙な顔で入って来た。

「私、今のアパートを出なくちゃならないみたい。」

彼女は、徳島県出身の三十二歳。独身で化粧品会社ポーラの経理課に勤めている。毎日、会社の帰りに来店、軽く食事をすますと、ビール(大ビン)を、三、四本飲み、楽しい雰囲気を作る女性である。

「昨夜ね、大家さんが、ご主人の郷里から送って来た物のおすそ分けと言って、こんな物をくれたの。包の中を見ると腐った豆が入っていたのよ。こんな物をくれたのは私にアパートを出て行けと言っていることかしら?」

それを私が手に取ってみると、〝納豆〟だった。四国生れの智子さんは納豆を初めて見たそうだ。

翌日、智子さんはスーパーマーケット西友のチラシを持って来た。「晁さん、これを壁に貼って下さい」と手渡されたので、見てみると裏の白い部分に、〝この犬を捜して下さい〟と太文字で書いてあった。その横にボールペンで書いた犬の絵があり、犬の特徴も書いてあった。体形はドーベルマンぐらい。毛並はグレイ、名前は〝シロ〟。その紙をのぞきこんだ中島君が、「賞金三万円だぞ!」と叫んだ。智子さんの話では、依頼主は智子さんの上司の土屋課長で、半年前に、彼の大学の先輩から血統書付きの雄犬を十万円で譲ってもらった。生後三カ月だった子犬を、先輩のすすめで、調教師に三カ月あずけた。その犬が、一週間前に彼の家に帰って来た。犬小屋を買い、庭で放し飼いにしていたが、四日前に姿を消した。家の周辺を捜したが見つからなかいので、公開捜査にしたそうだ。それを聞いた智子さんが、「私が親しくしているお店のマスターに頼んで上げます」と言って、その紙を持って来たのだと言う。私はボクサー犬を飼っているし、犬のことにはオーソリティだと思い込んでいる智子さんは始めから私をあてにしていたようだった。私は、「それは気の毒ですね、明日捜しに行きます」と安易に引き受けた。そして上司の住所を聞くと、馬橋だった。そこは、店から歩いて三十分ぐらいの所なので、その近辺から捜すことにしようと思った。家に帰ると、愛犬のエルが尻尾を振って私を迎えてくれた。それを見て私はシロオは逃げたのではない!人に逢いに行こうとしているのではないか?その相手は調教師だろうか?調教師は訓練を厳しくし、犬との心の距離を常に保たなくてはならない。犬が調教師になついてしまうと飼主に帰せなくなるからだ。それは調教師の掟だと聞いたことがある。調教所は野方だ、犬には帰巣本能がある。野方に向かって歩いているのではないか。もしかするとその調教師は〝若い女性だったのでは〟と、勘繰る。

私は毎日、午後二時にエルを連れて、一時間散歩をする。そのコースはだいたい決まっている。馬橋にある東公園には必ず行く。そこは、〝犬の出入り禁止〟の立て札が無い。犬の散歩道の穴場になっている。私はエルの散歩はやめて、一人で公園内をぶらついてみた。何時ものように色んな種類の犬が飼主と散歩をしている。顔見知りの人と挨拶をして、三十分ぐらい歩き廻ったが無駄な時間だった。公園の外に出た時、五、六メートルぐらい先に灰色の毛並の痩せた犬が歩いていた。野良犬のように見えたが、何気無く、「シロオ」と呼んでみた。すると、その犬は私を見て近づいて来た。私は犬の頭をなぜながら首輪を見ると、小さな字でシロオと書いてあった。だがあのチラシに書いてあった犬の絵との風貌があまりにも違うので一瞬、躊躇したが、ズボンのベルトをリールがわりにして取り敢えず、家に連れて帰った。智子さんに電話をすると、びっくりしていたが、飼主の土屋さんと駅前で会うことにしてくれた。土屋さんは犬を見ると、しゃがみこみ泣き出しそうな声で、「シロオ」と呼んだ。シロオは土屋さんの顔を見て、足早で近づき、飼主の顔をペロペロと、舐めた。その光景を見て、私は礼金を辞退して帰った。その日の夜、智子さんが、土屋課長からと言って、白い封筒を持って来た。中には三万円入っていた。

 

あの晩、一週間ぶりに来店した永島氏は、カウンターに座ると、「晁さん、オレまた、やっちゃったんだ」と言ってから、ビールを注文した。永島氏は三十六歳、山之内製薬の営業課長だ。彼は当店では酔っ払いの部類に入るが、酒癖は悪くない方だ。彼はビールしか飲まない。それもサッポロビールだけだ。キリンビールなんかは馬の小便だとうそぶく。

「俺には女はいらない、ビールがあればいいんだ。結婚なんかしたら自由が無くなる。」

これが永島氏の口癖だった。三カ月前、六年間住んでいたアパートを出て、オデオン座の裏のマンションの三階に引越した。ところが、酔っ払うと、なぜか今まで住んでいたアパートに帰ってしまう。ある夜、たまたま鍵が開いていたので部屋の中に入り、冷蔵庫からビールを取り出して飲んでいる所に現在の住人が帰って来て、大騒ぎになったことがある。住人は五十代男性だったので、その時は何とか許してもらったが、〝また、やってしまった〟のでは警察沙汰になったのだろう。私は永島氏を、このままにしておいては危ないと思い、何とかしなくてはと考えていると名案がうかんだ。山下智子さんに白羽の矢を立てたのだ。智子さんと永島氏は当店の常連であるが、二人が隣り合わせになったことはない。そこで智子さんに永島氏の隣の席に座るように頼んだ。智子さんが話しかけると、永島氏は戸惑っているので、私が、「あなた方には共通点があるのですよ」と言うと二人が怪訝な顔をしたので、「お二人の名前に共通点があるのです。永島智昭、山下智子、〝智〟の字です」と話すと、二人がびっくりしているので、「まだあります。あなたたちはサッポロビールしか飲まないでしょう」と、そう言われてみればそうだと、気がついた二人は、照れ臭そうに顔を見合せて、乾杯をした。土曜日だったこともあって、閉店まで意気投合して飲んでいた。そこで智子さんに、「智昭さんは酔っ払うと以前住んでいたアパートに行ってしまうのです。智子さんのアパートと智昭さんのマンションは方角が同じなので、今日は智昭さんをマンションまで送って行ってください」と頼んだ。その日以来、二人は毎週土曜日には閉店まで飲み、智子さんは智昭さんをマンションまで送っている。それから二カ月後、二人は中野サンプラザで、山之内製薬会社とポーラ化粧品会社の友人達に囲まれて、盛大な挙式をあげた。

 

国際結婚が二組あった。シンガポールの留学生ソー・ウィリアム君と台湾の留学生マーさんだ。彼らも当店で知り合い、何時の間にか結婚していた。もう一組はイギリス人のステファン・ダーニンと小川直子さんだった。彼らは、直子さんがステファンに英会話を習ったのが切っ掛けだった。山崎君と永島氏のカップルは、私が手助けをしたが、その他の五組の若き男女は当店で知り合い、恋に落ち、結婚している。北海道は帯広の在住で、上京すると、必ず来店し、チャンピオンの人気料理〝チキンソテイ〟を食べていた初子と私との結婚をプラスするとトータル十組になる。
                                       【山本晁重朗】