百枚ちかく届いた年賀状の殆どは元常連客からだった。その中にオリンピックの聖火ランナーの写真版があった。少しぼけているが、青年が聖火を持って走っている。差出人は三遊亭小遊三さんだった。師匠の若き日の姿は六四年、東京オリンピックの時のものだ。その年の二月にチャンピオンは開業した。

 ある夜、常連客が引き、カウンターが空席になった時、中年の男性が同年輩の女性と来店した。私の前に座り、「チャンピオンて、店の看板が気にいったので入っちゃった」、飲みものを注文すると、行き成り「私は海老原博幸が好きなんです、彼の試合は全部見ています」と言いながらファイテングポーズをとった。私は、「その海老原と同じ日にプロテストを受けましたよ」と応じた。すると彼の目は鋭く光り、ボクシング談義になった。この人は何者だろうか?

 その日以来、月に一回か二回来店するようになった。ボクシングの話は何時も同じような内容だが、連れの女性は日替りだった。若い人もいたが彼女たちは薄化粧のステキな女性だった。そして、連れの男を師匠と呼び、敬語で話をしている。「何の師匠ですか」と訊くと、彼女たちの応えは曖昧だった。

 ある時、隣りのヤキトリ屋のママが彼女の店の客と来店した。ママは私に目くばせをし、「あの人」と言って指を差している。それに気が付いた師匠とママの目が合った。彼女は大声で、「小遊三さんじゃない!〝笑点〟の人気者の!私、ファンなの」と叫んだ。師匠は立ち上がり、「ばれちゃった」と小游三さん。笑いながら一礼すると、ほぼ満席の店内が、どっと沸いた。見たことのある顔だと思っていたが、小遊三さんはお忍びで来ていたのだった。

 その後は、小遊三さんが所属しているタマス卓球道場の若い仲間を連れて来るようになった。彼らとの席では二、三枚の座布団に座り、下ネタとアウトローのギャグをキザに演じる笑点〟の顔はなかった。愉快な普通のおじさんになっている。因みに小遊三さんとの交流は今でも続いている。年末には、〝笑点暦〟の豪華なカレンダーを送って下さる。私も師匠の高座を聴きに行っている。

 昭和が終り、年が明けて四日目の夜だった。開店当時からの常連が三人顔を合せた。古参客は、その時代の思い出話をしている。サラリーマンの三木さんは「ボクは早稲田の学生だった」、「オレは、まだ結婚していなかった」と古物商の吉永さん。「私は聖火ランナーだった」と美容師の勝ちゃんが得意げに言うと、「ウソーッ!」、隣りにいる二人の口調が重なった。
 痛風でアル中の勝ちゃんが聖火ランナーだったとは、信じがたい。「青梅街道を走ったんだ!」。勝ちゃんはグラスを置いて立ち上がった。その時、彼らの横で居眠りをしていたロクさんが目を覚まし、口を挟んだ。
「ニリンピックって知ってる?」。三木さんが、「それ何?」。ロクさんはフンと鼻で笑い、「競輪だよ」。三人は顔を合せ、「確かにニリンだ」。ロクさんはやばい空気を読んだのか、話題を変えてしまった。

 ロクさんは運動神経がにぶいので自転車に乗れない。そのコンプレックスを解消してくれる競輪の選手を尊敬しているという。「競輪場に行ったことはあるの?」と問われ、「後楽園野球場の隣りにある競輪場に行こうと思っていたんだけれど、美濃部都知事が競輪はギャンブルだと言って廃止してしまったんだ」。オレンジジュースを飲みながら、「ギャンブルは人間をクレージーにしてしまう」とロクさん節が続く。それを吉永さんが遮り、恒例の新年会の打ち合せを始めた。そこに印刷屋の木崎さんが入って来た。「寸劇をやろうよ、オレが脚本を書くから」。

 数日後、木崎さんは「一本刀土俵入」と「ロミオとジュリエット」の脚本のコピーを持って来た。

 「一本刀土俵入」のキャストはすぐに決った。東洋大学拳法部キャプテンの晶ちゃんが駒形の茂兵衛の役をやりたいと名乗り出た。おかみさんの役はテレビタレントのさとみさんに依頼した。晶ちゃんに対抗してか、ロクさんがロミオの役をやりたいと言い出し、失笑を買った。ロクさんの役ではないと皆にからかわれ、しゅんとしていると、チャンピオンのアイドル、自称十七歳のポン子が、「私がジュリエットをやるから、ロクさん、ロミオをやんなよ」と助け舟を出した。喜んでいるロクさんにポン子は、「台詞は確り覚えてね」と釘をさした。

 新年会は毎年一月第二土曜日、隣りの貸しスダジオで、午後七時から十二時まで催している。常連たちの隠し芸が面白いので、仲間が五十人から六十人は集まる。

 その年の新年会は午前中に雨が降り寒い日だった。スタジオには暖房設備はないが、狭い会場を六十八人の出席者の体温が、それを補った。

 隠し芸が始まり、宴たけなわになった。歌、ダンス、ギター演奏、エトセトラ。

 司会の荻野さんが、次は「一本刀土俵入」とアナウンス。

 晶チャンは本格的にやりたいと言うので、日大相撲部からふんどしを借りてきた。ふんどしは大きくて重い。絞めかたが分からないと言うので当日、相撲部の学生に来てもらった。

 舞台の中央で、「これが、おかみさんに見せる、おいらの土俵入でござんす」。晶チャンは、ここが見せ場とばかりに、大みえを切り、しこをふんだ。会場から、「ニッポンイチ!」と声がかかったので、調子にのり、もう一度、大きくしこをふんだ。その時、〝どさっ〟と物が落ちる音が聞えた。かぶりつきで見ていたホステスの在美ちゃんが、「キャーッ!エッチ」。

 時計屋の荻野さんが自前のマイクを持って、「本日のメインイベント〝ロミオとジュリエット〟です」。舞台の中央にスタジオにあったでかい脚立を置き、その上にポン子のジュリエットが腰掛け、その横にロミオのロクさんが立っている。ロクさんはジュリエットを見上げ、「マイダーリン、ジュリエット、私のジュリエット」。両手を広げ、堂々と、気持ちよさそうにアドリブもいれて演じている。ところがジュリエットは悲しそうな表情をしているだけで何も言わない。これはポン子の演技なのかと思っていると、司会者が、「ポンちゃん台詞を忘れたの?」、マイクで呼びかけた。ポン子は、すくと立上がり、「だって!ロクさんは私の台詞まで言っちゃったんだもの」、場内は一瞬、シーンとしたが、誰かが、「クスッ」と笑った。それにつられて場内は笑いと拍手のうずになった。司会者が、「凄い!コント55号の〝欽どこ〟よりも面白い!」と絶賛。脚本家の木崎さんにマイクを向けると、「オレが書いた脚本はコントではない!」と怒っている。その後ろにロクさんとポン子が気まずそうに立っていた。

 甘い物が好物だったロクさんは持病の糖尿病が悪化して入院。タローちゃんが見舞いに行った時は小野田六四郎の名札は二日前に外されていた。世田谷の松沢病院だった。クリスチャンのロクさんが召天して三十年。オリンピックの活字を見るとロクさんが好きだった、〝ニリンピック〟を思い出す。
                                       【山本晁重朗