映画館ユジクの前で立ち止まり、タイムテーブルを見ていると、「マスター」と声をかけられた。振り向くと同年輩の男が、「ゲンキ?」と言いながら近づいて来た。その人は元チャンピオンの常連客だった。マニアックな映画ファンだったのを思い出したが、名前が出てこない。相手も私の名前を忘れたので、マスターと呼んだんだろう。「最近、何か見た」、「ウン、見たよ、アメリカ映画で、えーとアカデミー賞をとったやつ」と言ったものの映画のタイトルが出てこない。

「ほら、あれだよ」「あれか、オレも見たよ」「面白かったね」

二人は、その映画の話をしたのだが、ちぐはぐだった。十分ぐらい立ち話をしていると、お互いにタイトルを思い出した。だが、二人が口にしたタイトルは異なっていた。そのように、近年はとかく忘れっぽいのである。

ところが、四十年、五十年前の出来事は昨日のように覚えているから不思議だ。

チャンピオンを開業したのは半世紀以上も前だ。居抜きで借りた店はカウンターだけで、八人座ると満席になった。私は銀座ビフテキのスエヒロと九段会館の洋食部で料理の修業をしているので、食べ物のメニューを出したかった。だが、それは不可能だった。この店は元バーだった故に、家庭用のガスが二台と氷で冷やす小さな冷蔵庫があるだけだ。

店はスナックなので、ビール、ハイボール、ウイスキーのオンザロックが主な飲みもので、料理はスパゲッティと生野菜サラダだけである。店は口コミで軌道にのり、七時を過ぎると常連客で席は埋まった。客層は二十代から三十代で、学生、サラリーマン、自営業だった。共通しているのは、よく飲み、よくしゃべる。彼らの話題は豊富で、映画とボクシングのトークが多かった。

ある夜、スポーツ刈りの青年が入って来た。ひとつ空いていた席に座り、ビールを注文した。一杯飲み乾すと立ち上がり、「ボクは昨日、この店の近くに引越して来ました。名前は相川愛一郎です。愛ちゃんと呼んで下さい」と挨拶をした。常連たちは酔っぱらっているので、すぐに彼を受け入れて、仲間にしてしまった。次の日から愛ちゃんは毎晩、七時になると顔を見せた。

生れは静岡県富士市で、明治大学のラグビー部のレギュラーだったが、腰を痛めて退部した。就職した出版社が倒産したので、今は休職中である。と、経歴をしゃべりまくっている。それでも、人なつっこい笑顔と、どんなジャンルの話題にも対応出来る軽妙な話術で人を笑わせ、人気者になってしまった。

ある時、キザで酔っ払いの中年男ぬまさんが、バーのママを連れて来た。「美人のママにカクテルを作って」と気どってみせた。ぬまさんは、私がカクテルを作れないのを知っているのに、意地悪だ。どうしようと思っていると、愛ちゃんが、「ボクが作ります」と言ってカウンターの中に入って来た。

「ボクはバーテンのアルバイトをやったことがあるので、まかしておいて下さい」

愛ちゃんは格好よくシェーカーを振った。その日から彼は、当店のバーテンダーになってしまった。愛ちゃんは同じ年だが、私より背は高い、風貌がいいので、初めて来店した客に「マスター」と呼ばれることもあった。

その頃、世界フライ級のタイトルを失ったファイティング原田と東洋バンタム級チャンピオン青木勝利のノンタイトル戦が話題になっていた。古物商の吉永さんが、天才のハードパンチャー青木が勝つと豪語したので、愛ちゃんは、対抗して努力型の原田がKOで勝つと言い張った。口論になり、勝敗にビールを賭けることになってしまった。結果は原田のKO勝ちだった。負けた吉永さんはカウンターにビールを十本並べた。そして、「今日はオレのおごりだ!飲んでくれ」と叫んだ。いきさつを知らない常連たちは並べられたビールを飲み、「カンパイ」。吉永さんには、〝完敗〟と聞えたのではないか。ところが愛ちゃんは吉永さんに、「無理しないで五本でいいよ」と言ったのに、「十本賭けたのだから、同情はいらない」、きっぱり断った吉永さんの男気にボクは負けましたと、言っていた。

数ヶ月後、愛ちゃんは突然、可愛い女の子を連れて来た。名前はひろ子、十七歳だという。

「ボクは来月、一番街にバーを開業します、この子がホステスです」

それを聞いた私も常連たちも啞然とした。開業資金は病院を経営している実家の父親が出してくれるという。

阿佐谷南口のパチンコ屋の横を左に曲ると高円寺に向って飲み屋街がある。そこが一番街で、バー、スナック、居酒屋が百二十軒のきを並べている。オリンピックの名残りもあって、深夜までにぎやかで、どの店も繁盛していた。開店する店は、その中ほどにあった。チャンピオンより広い。カウンターとテーブルがあり、キャパは十六席。店名は〝メロス〟だった。

愛ちゃんが、バーを開店するのを驚いている常連たちに開店祝に行こうと声をかけた。当日、私はカウンターの中に入り、マスターの愛ちゃんと並んだ。「この店はチャンピオンの姉妹店です。よろしく」と挨拶をした。店はチャンピオンの常連客であふれている。ビールグラスを掲げて、「おめでとう」。ホステスのひろ子ちゃんもホールで接待し、愛嬌を振りまき大盛況だった。

パーティが終り、店を出ると吉永さんが私を呼び止め、「愛ちゃんは人気者だから、チャンピオンの客を取られちゃうぞ」とささやいた。「それでもいいよ、愛ちゃんには助けられたし、これで恩返しが出来た」とは言ったものの、それが現実となった。何時も七時頃に来る客が十時すぎに来店、「メロスで飲んで来た。愛ちゃん張り切っているよ」と言う客が増えたのだ。

月日は流れ、ある夜、有線放送の三井さんが来店した。

「チャンピオンは相変らず盛況だね、メロスは閑古鳥が鳴いているぞ」

隣で飲んでいた野沢君が、「一週間前にメロスに行ったら、客は四人居ただけで、顔見知りの人は居なかった」。そう言われてみれば、最近はメロスで飲んで来た話を聞かなくなった。常連たちは、もうメロスに行かなくなったのだろうか。

メロスが開店してから二度目の春を迎えたある夜、愛ちゃんが開店と同時に入って来た。店内に客が居ないのを見定めると、「おやじが倒れたんだ、店を閉めて実家に帰ります」と言い残して、愛ちゃんは阿佐谷の町から姿を消した。

それから二年後だったと思う。吉永さんが来店し、「愛ちゃんが死んだって、ひろ子ちゃんから電話があった」。

葬式の日時も知らされていたので、二人は静岡県の愛ちゃんの実家に行くことになった。吉永さんは、「親の死に目に会えなかったと愛ちゃんは嘆いていたし、これで病院の跡取りは居なくなったんだ。ひろ子ちゃんは、まだ若いのに未亡人になってしまった」と、車窓から景色を見ながら、ぼやいていた。

富士市の駅に降りて、外に出ると、目の前に富士山がパノラマのように広がっている。二人は立ちすくんだ。屋久島生れの吉永さんは初めて見る光景だ。

「風呂屋のペンキ画より凄い!」

駅前でタクシーに乗った。吉永さんは、「相川病院に行って下さい」。行き先を告げると、運転手は、「この町に、そんな病院はありません」。「そんなことないよ、総合病院だよ」。運転手は振り向いて、「相川医院ならありますが」。吉永さんは声を大にして、「じゃあ其処に行って!」と言うと、運転手は、「歯医者ですよ」。

入口のベルを押すと、ひろ子ちゃんが出て来た。「お義父さん!東京から吉永さんたちが来ました」。二人は顔を見合せ、「お父さん、死んだんじゃなかったのか」。吉永さんは首をかしげた。

ひろ子を助手席に乗せ、お父さんの運転で、お母さんと私たちは葬儀場に行った。車中でひろ子は、愛ちゃんはアル中だったと言うだけで、死因を訊くと、答えは曖昧だった。

儀式が終り、御清所に案内された。そこで、お母さんに愛ちゃんの高校時代の同級生を紹介してもらった。「大学も同じだったんですか?」と訊くと、「相川は、大学には行ってないよ」。「ラグビーの選手だったと聞いていたのですが」。「相川はスポーツは苦手だし、飛行機は恐いと言って、海外旅行を誘ったがだめだった」。

ハワイに行った話も聞いているので、私は狐につままれたようになり、吉永さんの顔を見た。不信の念をいだいた吉永さんは、「あなたは何年生れですか?」と質問すると、同級生の年齢は私たちより三歳も年上だった。同級生は、「相川はビールが好きで、高校生の頃から親の目を盗んで飲んでいました。それと本が好きだったようです」。「どんな本ですか」。「哲学の本から週刊誌まで読んでいました」。吉永さんが、「だから彼は物知りだったのか」とつぶやいた。その時、同級生は、「そうだ、相川は太宰治の愛読者だ、と言っていました」。私と吉永さんは目を合せて頷いた。そのショックで頭が混乱した。

一番街のやきとり屋鳥正で愛ちゃんの偲ぶ会を催した。吉永さんと連名で香典を出してくれた十二名が出席した。献杯し、みんながほろ酔いになるのを見計らって、愛ちゃんの秘話を披露した。どんな反応があるだろうか。心配だった。話が終ると神妙な顔で聞いていた彼らは、いっせいに笑いだした。「ウソー!」、「本当!」、「信じられない」、「ジョークでしょう」の声が交差した。

調理場で仕込み中のおやじさんが、鳥肉を串に刺す手を止めて、「にぎやかだけど、今日は何の集りなの?」。私は、「偲ぶ会です。〝メロス〟の」と応え、手もとにあったビールを飲み乾した。