新型コロナウイルスの感染を防ぐため、ステイホームをしている時、本棚の上にある赤い表紙のアルバムが目に付いた。ずっしりと重い。分厚い表紙を開くと、〝「チャンピオン」開店三十八周年記念パーティのご案内〟が貼ってあった。

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 前略、早速御案内申し上げます。

 私たちの「チャンピオン」は、東京オリンピックの開催された一九六四年にはじまり、二十一世紀幕開けの今年を数えて三十八年目を迎えます。そこで、有志の方たちが発起人となり、記念パーティを開催することになりました。「チャンピオン」で青春を過ごされたあの時、あの時代に戻り、様々なご縁に恵まれた懐かしい方々と、新旧一同に会し、大いに語り合い、楽しんでいただきたく、御案内申し上げる次第です。何卒、御出席賜りますようお願い申し上げます。尚、当日は、ボクシングのエキシビジョンや、プロの方々の音楽、歌、そしてフラメンコダンス、その他を予定しています。                                  
                                    発起人代表 鶴田正浩

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 「日時 平成十三年十一月二十二日(木曜日)、午後六時三十分より、場所・九段会館(三階真珠の間)。会費 お一人様一万円(子供は無料です)」と記してあった。

 三十八周年記念パーティ開催の二カ月前に、ニューヨーク同時多発テロがあった。〝九・一一〟である。その二十日後に、初子と九段会館に行き、宴会係主任の庭月野氏を訪ねた。彼は私が会館に勤めていた時の友人で、私たちの結婚披露宴は彼が便宜をはかってくれた。立食パーティで出席者は百人だった。「三十八周年は二百人近く案内状を出している」と言うと、会館で一番広い三階の真珠の間を確保してくれた。

 アルバムの二頁を開くと、今井重幸氏が舞台の中央で乾杯のポーズをとっているショットがあった。その横に、発起人の鶴田正浩氏がマイクに向っているショットがあり、俳句誌「炎環」主宰の石寒太氏、スポーツライターの藤島大氏、二宮清純氏、前田哀氏らのショットが並んでいる。その中に日本語でスピーチをしているジョナサンのスナップショットもあった。

 次の頁には司会者の松岡みどりさん、そして私と初子が挨拶をしているツーショットがあった。それを見ていると私は何時の間にか十九年前にタイムスリップしてしまった。

 満員の立食スタイルの会場には、ボクシングの関係者、俳句の関係者、映画友の会、佐藤塾(空手)の関係者達の新旧常連客が入りまじり歓談していた。

 私はカメラを持って、ごった返す出席者の渦の中に入った。一人ひとりにお礼の挨拶をしながら、笑顔でポーズをとる彼らを撮りつつ歩き回っていると、「ちょうさん」、背後から声をかけられた。振り向くと、東大生だった上田薫ちゃんが美人の奥さんを紹介した。カップルは名古屋から来てくれたのだ。その隣にいる薫ちゃんと高校が同級だった長谷川夫妻は、小学生の娘と三人で新潟から、飲み仲間だった上智の木村君は宝塚から来てくれた。後に、安倍内閣の復興大臣になる田中和徳氏に肩を叩かれた。彼も学生時代からの客だった。

 七時から余興が始まるが、その前に、チャンピオンで知り合い、結婚したカップル第一号の永島夫妻と第九号の中村夫妻が舞台に上がりスピーチ。仲が良いところを見せつけられた。

 余興のトップバッターは殴られ屋の純君だった。新宿の歌舞伎町で、酔っ払いのうさばらしに、一分間千円で殴らせるという珍商売だ。当時、彼はマスコミの寵児になった。因みに日曜ボクシングのレギュラーでもある。その殴られ屋に挑戦したのが鶴田氏の娘さんの育子ちゃんだった。十二オンスのグローブを付けた彼女は、舞台の中央で、純君を殴りまくったが、パンチは一発も当たらなかった。拍手と感声が静まるのを待って、橋口瑞恵さんがさっそうと登場、ヴァイオリンを演奏。続いて珠木美甫さんのシャンソン。そして大橋巨泉の娘さんのジャズシンガー、美加さんと、妹のチカさんのデュエット。この姉妹は阿佐谷恒例の〝ジャズストリート〟のレギュラーで、会場を満席にするボーカリストである。レコード会社新星堂の鶴田氏が、「彼女たちのデュエットは、初めて聴いた。素晴しい!」と絶賛した。「カン、カン、カン」と、ゴングのテンカウントが場内に鳴り響いた。それは私がゴングの代りに調理場から借りてきたフライパンを、ステンレースのスプーンで叩いた音だ。舞台に現役のベテランレフリー島川威氏が登場。日曜ボクシングの練習生のスパーリングが始った。一ラウンド二分の三回戦。両者の激しい打ち合いに会場は興奮のるつぼと化し、後楽園ホールさながらの声援がとんだ。

 その余韻が治まらないうちに、メインイベントのフラメンコダンサーが舞台に華やかなドレスで登場。息子将光のジャマキート舞踏団だ。「オーレイ」、「ブラボー」と掛け声が入り、情熱的なムードが会場と一体になった。

 余興が終り、舞台に元日本チャンピオンが四人登場。ライト級のシャイアン山本、Jライト級の赤城武幸、Jミドル級の引地博、ライト級の大山悦。シャイアン山本氏が代表で、「三十八周年おめでとう。チャンピオンの防衛回数をもっと伸ばして下さい」と激励の挨拶をしてくれた。彼らが舞台を下りると、私と初子が上がり、花束が贈呈され、お礼の挨拶。そこに御輿のコーちゃんが登場、三、三、七拍子でパーティは無事に終了した。

 二次会は隣の桜の間だった。会計係の深代チャンが、「出席者は子供四人をプラスして二百三人です」と耳打ちをした。会場は真珠の間より狭い。どんな状態なのか見に行くと、入口に鷺谷達夫さんがいて、両手を広げ、私を迎えた。その瞬間を女性カメラマンの岩本昌子さんが捉えた。そして、その写真がアルバムのラストの頁に貼ってあった。

 五六頁に一九四枚の写真が納まっているこのアルバムは、私にとって貴重なものである。見終ると裏表紙を閉じ、そっと戻した。            
                                       【山本晁重朗】