コーヒーを飲みながら、一五〇枚ぐらい届いた年賀状から御年玉の当り番号を調べていると、初子が、「電話です、今井先生から」。その時、いやな予感がした。それは今まで家に電話がかかってきた事がなかったからだ。

 今井重幸氏は、パントマイムのヨネヤマママコ、フラメンコダンサーの小松原庸子を育て、世に出した人で、チャンピオンの家主でもある。

 「今晩七時に駅前の喫茶店アコヒーダーに来て下さい」

 二〇〇七年一月十六日だった。指定された時間に行くと、今井氏は店の片隅で、レモンティを飲んでいた。新年の挨拶をすると、本題に入った。

 「建物が老朽化しているので、立て直したいのです。それで、店を今月いっぱいで明け渡してもらいたいのですが」

 私は血の気を失い、コーヒーカップを落としそうになった。電話を受けた時の悪い予感が的中したのだ。黙り込んでしまった私に、「立退き料を二百万出します」と言うのだが、私は、「いきなりそんなことを言われても返事は出来ません」と言い店を飛び出した。

 私が七〇歳になった時、引退して息子の寛朗にチャンピオンの跡を継いでもらうことになっている。それは初子の提案で、私たちの理想だった。寛朗は五年前に九段会館を退職し、チャンピオンで修業をしている。店を立ち退けば、私たちの生活も未来も無くなってしまう。

 知人の弁護士に電話をすると、立退きは六カ月前に通告しなければならない。その家主の行為は違法なので、明け渡さなくてもいい!と言われた。翌日、初子とアコヒーダーで今井氏と会い、弁護士に言われたことを話すと、しばらく考えていたが、「それでは、四月三十日までにしましょう」。

 常連客に店の明け渡しをの話をすると、彼らはびっくりして、「そんなバカな!四十三年も続いている店を、いきなり立ち退けって!」「オレが今井先生に掛けあってやる!」「どうしても出なきゃならないのなら一千万円の立退料をもらわなくちゃ!」「店を止めることはない!居座っちゃえ」と喧々諤々!。今井先生への非難の声ばかりではなかった。「あんなに面倒見のよい人がどうしたのだろう」「今井先生らしくない、何かの間違いよ!」と好意的な人もいる。

 今井重幸は背丈は一七〇センチぐらい。中年の紳士だ。鼻の下と顎に髭をはやしているので髭の先生とも呼ばれ、まんじ敏幸の名前で、舞台演出家、構成作家として活躍している。その道では有名な人らしい。チャンピオンに時々顔を出し、誰とでも気さくにおしゃべりをするので人気者だ。新年会、忘年会はチャンピオンの裏にある貸しスタジオを無料で使わせてくれた。そしてパーティに参加すると、隠し芸で歌う人のピアノ伴奏をしてくれる。そんな人がらの今井先生が常連客に罵倒されるような非情な行為をするのが解せない。

 そこで、私は偽証事件でお世話になった佐々木弁護士に電話を入れた。今までの経緯を話すと、前触れもなくビルを建て直すと言い出した原因を知りたいと言われた。私は電話を切ると、今井氏の幼馴染で、大学も同期の村上氏を訪ねた。彼は不動産会社の社長なので、この一件に係わっていると思ったからだ。私の勘は当っていた。今井氏は緊急に、まとまった金が、必要になったのだ。ビルを建直すのではなく、六〇坪ある土地の借地権を売ろうとしているのだった。

「何か大きな興行に手を出して失敗したようだ。今井とは長い付合いがある、これ以上話すことは出来ない」

 村上氏から聞いたことを、そのまま佐々木氏に伝えると、今井さんから店舗を借りる時に、どんな契約をしたのか聞かれた。

 後に、チャンピオンの二階でバー〝ランボオ〟の経営者になるほりさんのすすめで、アルスノヴァビルの一階にある休業中の小さなバーを居抜きで借りることになった。オーナーは今井氏だった。

 今井氏は、「平沢貞通を救う会」の後援会で、森川事務局長に紹介され、冤罪事件の話題で意気投合した人だ。駅前の喫茶店で今井氏が便箋に店舗の賃貸の契約書を書き、私はサインするだけだった。「保証人は森川さんになってもらおうと思っています」と言うと、「山本さんは私の友人です、保証人はいりません、ここにサインをすればOKです」。私がサインをすると、「保証金五万円と家賃一万五千円の二カ月分、合計八万円を三井銀行の私の口座に振り込んでください」。鍵を渡され、「昭和三十九年二月十一日から使ってください」。私の話を興味深く聞いていた佐々木氏は、「山本君は随分信頼されているんだね。ところで、今までに家賃を滞納したことはあるの?」。

 開店した翌年の三月十五日、私は偽証容疑で検察庁特捜部に逮捕され、一カ月間、巣鴨の東京拘置所に勾留された。四月十五日、保釈になり、二日後に店をオープンしたが、TV、新聞の事件の報道が影響してか、知人が二人来店しただけだった。これからどうなるのかと困惑している時、今井氏から電話があった。アルスノヴァの事務所に行くと、「大変だったね」と労いの言葉をかけてくれた。私はチャンピオンの家主として、世間の風当りが強かったのではないかと心配した。「家賃の件ですが」と切り出されたので、店を追い出されるかも知れないと覚悟をした。ところが今井氏は、「店を一カ月も休んだので、収入は無かったでしょう。このままでは店を維持して行けないのではないのかな。店が軌道にのるまで家賃は払わなくてもいいです」と気を遣ってくれた。そして、「何カ月分か溜ったら、トータルして月割りで払ってくれればいいです」とも言ってくれた。私はその行為に甘え、四ヶ月の未払いだった家賃を六回の月割りで支払った。「そんなことがありました」。佐々木氏は数秒沈黙してから、声のトーンを上げて、「その時、山本君は今井さんに助けられたのだ。その今井さんが老朽化して、一円の価値も無いが、長年住んでいるビルを手放すほど緊急に大金を必要としているのだ。今度は山本君が今井さんを助ける番だと思う。今井さんは確かに法律を違反しているが、人間いつの世でも義理と人情は不可欠だと思う」。私は佐々木弁護士の見解に納得がいった。そして今井氏の事務所に承諾の電話を入れた。

 佐々木氏の意見に納得した初子も閉店のお知らせを書いた。


          ※


 突然ですが、皆様より御愛顧を賜ってまいりました当「チャンピオン」が四月末をもって「閉店」することになりました。

 新年早々、突如家主より、建物の老朽化や諸事情の理由により、明け渡しを要求されまして、やむなく決断いたしました。

 四十三年間、点して来た「チャンピオン」の灯を消す寂しさを、しみじみと身に堪え、一日一日御報告が遅くなってしまいました。

 長年に渡り「チャンピオン」を愛していただき心より感謝申し上げます。

 多くの方々との出逢いと交流は、私達の人生において大切な宝物です。本当にありがとうございました。また、いつか必ず皆様にお会い出来ますことを信じつつ、再建の検討のためにもしばらくお休みをさせていただきます。


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 サヨナラパーティは、四月二十八日土曜日、午後七時に始った。店内にある椅子を全部外に出して、立食スタイルにした。常連客が次々と来店、閉店を惜しむ挨拶を交わしていた。店内に入れない人たちは外に出したテーブルの上の料理を食べ、店の中から運ばれて来るビールを飲んでいた。通り掛かりの人が、閉店するのを知り、仲間に入ってしまった人が何人かいた。パーティは午前四時まで続き、参加者は六十人ぐらいだった。最後に店をバックにして記念写真を撮り、大盛況だった。

「チャンピオン」集合写真。 二十九日、三十日は普通どおりの営業をした。サヨナラパーティに参加出来なかった人たちが来店。

 「新しい店を開店したらず知らせて!」

 異口同音が耳に残った。

 最後の仕事が終り、初子と店を出ると、外は明るくなっていた。ゆっくりと歩いた。我家の前で、新聞配達のお兄さんに手渡された「東京新聞」の朝刊の日付が五月一日になっていた。ページをめくると「我が心のチャンピオン」の大きな活字が目に留まった。初子が覗き込んで、「藤島大さんが書いてくれたんだ」。サブタイトルが、「名物酒場の閉店」だった。


          ※


 最近、本コラムに「いつもの酒場」をよく登場させた。しつこいと自分でも分かっていた。でもそうしたかった。なぜなら「いつもの酒場」が閉じてしまうからだ。東京・阿佐谷の洋食店兼酒場「チャンピオン」は四月三十日、ひとまず四十三年の歴史を終えた。主人の山本晁重朗さんは、かつて極東ジムのフライ級、リングでチャンピオンになれなかったが、東京五輪の年に開いた「チャンピオン」を多くの老若男女の心のチャンピオンに育て上げた。(中略)店を切り盛りする妻の初子さんは気鋭の俳人で、このほど三冊目の句集『火を愛して水を愛して』(三輪初子、文学の森)が出版された。勇退の父に代り鍋をふる二男の寛朗さんはボクシングのプロライセンスを持ち、本格イタリア料理を身につけ、なお「洋食の味」を守る優しい男。

 建物の老朽化などを理由に家主から急な明け渡し要求があった。さみしい。ただし、これはKO負けでもドクターストップでもない。チャンピオン優勢の長い長い一ラウンドが終っただけなのである。

                           (藤島大・スポーツライター)

「チャンピオン」夜景。
                                                                          
                                                                             
                                                                          

                                                                              【山本晁重朗】