早朝、電話のベルで起こされた。

「アーユーOK、ダイジョウブカ!シンパイデス」

それは東日本大震災があった翌日だった。たどたどしい日本語なので、サイモン・リュウだとすぐに分かった。香港からの久々に聞く声だった。

何十年前だったか忘れたが、丸ノ内線霞ヶ関のホームに立っていると、入って来る電車を指さして、「シンジュクステーションイクカ」と声をかけられた。振り向くと私と同年輩の青年が近づいて来た。風貌は日本人だが雰囲気が何となく違うので、英語で応対すると、香港からビジネスで来た中国人だった。車中で新宿に行く目的を聞くと、「サクラカメラ店にキャノンを買いに行く」と英語で答えた。

「そのカメラ店は新宿の何処にあるのか」と聞くと、「知らないが新宿に行けば分かる」と友人に言われたそうだ。私は驚いた。有名店なら誰かに聞けば分かるが、彼はその店の住所も電話番号も知らないのだ。私は乗り掛かった舟だと思い、「よし、私が探してあげる」と言ってしまった。二人で街に出た。駅前の交番で聞くと、店はすぐに見つかったが、店長が不在で、一時間後に来てくれと言われた。仕方なく近くの喫茶店に入った。

中国人はバックからメモ用紙とボールペンを取り出し、漢字で筆談をしようと言うのだ。それは私の英会話力が乏しいからだろう。時々読めない漢字が出てくると、彼は英語で補ってくれた。そしてお互いに自己紹介が出来たのだった。彼の名前はサイモン・リュウ、歳は私と同じだった。メモ用紙にはキャッシー航空の社員、仕事で一週間、東京に滞在と書いてあった。一時間後、カメラ店に行くと店長は帰って来ていたが、サイモン氏との遣り取りが巧くゆかなかったのか、カメラを買うことが出来なかった。落胆している彼が気の毒になり、チャンピオンに連れて行くことにした。

その夜の一番目の客はサイモン氏になった。次々と常連客が来店したので、サイモン氏を紹介した。彼らは英語をしゃべる中国人に興味を持ち、英語で話しかけた。サイモン氏はスイスに二年間留学し、英語を勉強しているだけあって、アクセントがきれい。そして相手のレベルに合せて、スローリ、アンド、クリアリイで応対している。

一週間の滞在中、毎晩七時に食事をしに来てくれた。アルコールはあまり飲まないが、友達になってしまった常連との会話を楽しんでいた。

いつもカウンターの奥の席でいる吉永氏は外資系の会社に勤めている。サイモン氏達の会話がこじれたり、行詰ったりすると何気なく通訳をしてくれた。サイモン氏と対等に話せるのは彼だけだった。私はそんな吉永氏が羨ましかった。

サイモン氏が帰国してから一週間後、吉永氏が「私の部下です」と言って、若いイギリス人を連れて来た。

「デビットは来日したばかりで、日本語が話せないので頼みます。」

彼は近くのアパートに住んでいるので、時々顔を見せた。ある時、デビットに、「英語と日本語の会話の交換勉強をしないか」と提案すると、喜んで応じてくれた。毎週日曜日の午後一時から二時間、私の家ですることにした。数カ月後、その成果を試すチャンスがきた。デビットが、店に何回か連れて来た友人の若いカップルが来週、シンガポールで、ウェディングパーティーを挙行するので、招待すると言うのだ。スピーチも頼まれた。早速英語で原稿を書き、それを読み返し、暗記した。

当日、シンガポールのエアポートにデビットが迎えに来てくれた。英国スタイルの式が終り、パーティーになった。招待客は五十人ぐらい。英国人、米国人、シンガポール人で日本人は私だけ。新郎新婦の親しい友人たちが次々とスピーチをする。欧米人はジョークが大好きだ、笑いと拍手で盛り上がる。

司会者から、「本日のスペシャルゲスト、ヒーイズ、フロムジャパン!」と紹介され、マイクを持たされた。

「私は日本の代表で来ました。まず総理大臣からのメッセージがあります。総理はひと言『アーユーゲンキ?』」とジョークを言うと、それが受けたので、笑い声がもれる。日本での彼らとの出会いと月並みのお祝いの言葉を述べてから、新婦にボクシングのグローブを差し出した。そして、「これは貴女がダーリンとケンカをする時に使って下さい。パンチの打ち方は、このパーティーの後に教えます」と言った。しばし大爆笑と拍手が続いた。それが終わるのを待って、新郎にボクシング雑誌を渡した。表紙には〝ワールドボクシング〟と英語で書いてある。「そこにパンチのよけ方が書いてあるので、ベッドに入る前に読んで下さい」と言うと、再び笑いと拍手。新郎が雑誌を受け取り、ページをめくり叫んだ。

オーノー私は日本語が読めない!」                   _AC_US160_[1]

その時、デビットの声が聞こえた。

「ちょうさん!やったね」

日本語だった。

【山本晁重朗】