〝大杉漣さん急死〟の新聞記事を見た。テレビでも放映された。六十六歳の死は、あまりにも早すぎる。新聞によれば、一九九〇年代に、北野武監督の映画『ソナチネ』、『キッズ・リターン』、『HANA- BI』などに出演していたとある。その頃、北野映画の助監督をしていた大崎章氏が、ある晩、「一緒に仕事をしている仲間です」と言って、三十代の役者を三人連れて来たことがあった。その中に大杉漣がいたと思ったのだ。ところが、妻の初子は、店に来たのは大杉漣ではなくて、石橋凌だと言うのだ。私の思い違いであろうか。
 私は東京オリンピック開催の年にこの店を開業してから、その日の出来事と来店した気になる人物の名前を日記帳に書き続けている。押入れの奥に年号順に重ねてある日記帳を取り出し、九〇年代のを、片っ端から読んでみると、確かに、その日に来たのは石橋凌であって、大杉漣ではなかった。
 古い日記を読むのも面白いことに気がつき、頁をめくると、現在一線で活躍している人の名前が次々と出て来た。スポーツライターの藤島大氏、二宮清純氏、評論家の川本三郎氏、映画監督の小林政広氏等である。そして十数年前のある事件を思い出した。
 暑い日だった。家に市川市所轄の刑事が二人来た。常連客の奏三郎の息子桂吾のアリバイの確認に来たのだ。去る四月二二日の夜、二十五歳の男性が殺害されたそうだ。被害者は札幌生まれで北大を卒業。東京都内の某会社に勤務、市川のアパートで一人暮らしをしていた。警察が被害者の経歴を調べていると容疑者に秦桂吾が浮かんだのだ。桂吾は神田生まれのチャキチャキの江戸っ子。なぜか北海道に行き北大に入学している。卒業すると東京に戻り出版社に就職して、市川駅の近くのアパートに一人で住んでいる。そのアパートの隣の部屋の住人が何者かに殺されたのである。被害者と桂吾は同年配であり、北大を卒業して上京したのも同時期だった。驚いたことに二人は札幌でも同じアパートに住んでいたのだった。そればかりかアパートの近くにある貸本屋の会員でもあった。ここまで二人の接点があるのに桂吾は、その男の顔を知らないし、話したこともないと供述している、と刑事は言う。
 それが事実ならば、あまりにも偶然過ぎないか、警察が桂吾を疑うのは当然である。
 「桂吾は四月二二日の夜、父とあなたの店に飲みに行ったと言っているのですが」と尋ねられ、私は「その日はボクシングを観に行ったので店は休みました」と即答した。
 刑事は「なぜその日を覚えているのですか」と聞くので、「私が教えた選手の応援に行ったからです」と答えた。刑事二人は顔を見合わせ頷き、立ち上がりかけた時、「一応、日記を確かめてみます」と言って日記帳を持って来た。そして、その日の頁を読んだ。
 「試合は昼間だったので、夜、店を開けた。秦親子が最初の客だった」と記してあった。刑事は愕然として日記帳を凝視していた。
 翌日、秦桂吾から電話があった。
 「ありがとう!」
 声が弾んでいた。
                                       【山本晁重朗】

キッズ・リターン
キッズ・リターンa