WBA世界ミドル級タイトルマッチの微妙な判定と、試合後に村田諒太が「結果は結果、試合の内容は第三者が判断すること、僕自身、勝っていたとか、負けていたとか言いたくない」と、スピーチしたのが気にかかり、親しくしていただいている作家・安部譲二氏の見識を伺ってみた。安倍氏から手紙と彼の著書『ファイナル・ラウンド』が贈られてきた。
手紙には、「村田はまだアマチュアで、プロボクサーではないと思います」と。その後に、アマチュアボクシングのルールと、アマのボクサーの戦い方が詳細に書いてあった。読んで、アマとプロのボクシングの違いを再確認した。
深夜、TVで偶然、村田のインタビュー番組を見た。対談を聞いていると、村田のボクシングに対する心境が、筆者なりに解かった。村田の目標はアマチュアの頂点のゴールドメダリストだった。プロボクサーにはなりたくなかったと思える。ところが、高額の契約金で、説得されてしまったのだろうか。
プロのデビュー戦は、東洋太平洋ミドル級王者・柴田明雄だった。柴田を2R右ストレート一発でKO!これはいけると期待した。その後、十一戦して全勝、八度のKO勝ちがあったが、なぜかレフリーに右手を上げられた時の村田の表情が、あまり嬉しそうに見えなかった。
それは顔面にパンチが当った時と当てられた時の衝撃、ボディを打たれた時の苦痛を知りつくしている村田にしてみれば、対戦者があまりにも呆気なく倒れてしまうからだろうか。『ボクシング・ビート 7月号』の“KOトーク”で尾崎恵一氏は、微妙な判定で亀田興毅がランダエタに勝ってチャンピンオンになったことに触れていたが、村田は亀田のようなかたちで造られたチャンピオンにはなりたくなかったのだろう。
そのように思うと、スホーツマンシップと村田の真面目な性格が、世界戦で、中途半端なファイトをしてしまったのは頷ける。
インタビュー番組で、「再戦するでしょう?今度はKOで勝ちますね?」と突っ込まれ、村田は「その質問に答えるのが一番〝苦手〟なのです」と消極的であった。
安倍氏の小説『ファイナル・ラウンド』は、学生時代にアマのボクサーだった男達が社会人になってからの人生と彼らのファイナル・ラウンドを描いている。村田のファイナル・ラウンドが気掛かりだ。
二〇一七年七月三〇日・記
※八月三日、再戦は一〇月二二日に決まったと発表されたが。 [ 山本晁重朗]
手紙には、「村田はまだアマチュアで、プロボクサーではないと思います」と。その後に、アマチュアボクシングのルールと、アマのボクサーの戦い方が詳細に書いてあった。読んで、アマとプロのボクシングの違いを再確認した。
深夜、TVで偶然、村田のインタビュー番組を見た。対談を聞いていると、村田のボクシングに対する心境が、筆者なりに解かった。村田の目標はアマチュアの頂点のゴールドメダリストだった。プロボクサーにはなりたくなかったと思える。ところが、高額の契約金で、説得されてしまったのだろうか。
プロのデビュー戦は、東洋太平洋ミドル級王者・柴田明雄だった。柴田を2R右ストレート一発でKO!これはいけると期待した。その後、十一戦して全勝、八度のKO勝ちがあったが、なぜかレフリーに右手を上げられた時の村田の表情が、あまり嬉しそうに見えなかった。
それは顔面にパンチが当った時と当てられた時の衝撃、ボディを打たれた時の苦痛を知りつくしている村田にしてみれば、対戦者があまりにも呆気なく倒れてしまうからだろうか。『ボクシング・ビート 7月号』の“KOトーク”で尾崎恵一氏は、微妙な判定で亀田興毅がランダエタに勝ってチャンピンオンになったことに触れていたが、村田は亀田のようなかたちで造られたチャンピオンにはなりたくなかったのだろう。
そのように思うと、スホーツマンシップと村田の真面目な性格が、世界戦で、中途半端なファイトをしてしまったのは頷ける。
インタビュー番組で、「再戦するでしょう?今度はKOで勝ちますね?」と突っ込まれ、村田は「その質問に答えるのが一番〝苦手〟なのです」と消極的であった。
安倍氏の小説『ファイナル・ラウンド』は、学生時代にアマのボクサーだった男達が社会人になってからの人生と彼らのファイナル・ラウンドを描いている。村田のファイナル・ラウンドが気掛かりだ。
二〇一七年七月三〇日・記
※八月三日、再戦は一〇月二二日に決まったと発表されたが。 [ 山本晁重朗]